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工業団地最大手アマタCEO、ウィクロム・クロマディット氏

2003年2月25日(火) 19時25分(タイ時間)
 紀伊国屋文左衛門型と三井八郎兵衛型という企業人分類があるとしたら、ウィクロム・クロマディット氏は、鉄鋼王サワット氏らと並び、紀伊国屋型の最右翼だろう。アマタ・グループを工業団地最大手に育て上げる一方、私生活ではライオンと暮らし、余暇はジェット戦闘機で飛び回るという破天荒ぶり。今年50を迎えた独身貴族は、まだまだ夢と若さがみなぎっている。

??家系
 先祖は汕頭出身の客家で、150年前、ラマ5世時代にタイに移住してきた。姓は「邱」。たばこ工場、当時は合法だったアヘン工場を経営するほか、貸金業、水運業もてがけ、裕福だった。初代は商才に長け、先見の明があり、子供をみな中国で勉強させたそうだ。一族は現在、西部カンチャナブリ県で運送や農園経営などの事業を行っている。

??家族
 父には妻が7人いて、子供は長男の私を含め22人。ほかに養子が1人いる(カンチャナブリ県選出の民主党元下院議員、プラチャー・ポーティピピット氏)。

 私は76年に台湾人の女性と結婚したが、87年に離婚した。その後はずっと独身だ。交際相手は何人かいるが、自由が好きで気分屋なので、結婚向きじゃない。ずっとこの調子でやってきたし、これで幸せと割り切っている。子供はいないが、「トゥイヌイ」という名前のライオンを子供のころから育ててきた。自分で風呂に入れてやっているし、ベッドも一緒。私のことを父親と思っているはずだ。

??スポーツ
 大学時代はテニス(白いウエアがいやだったから)以外は全てやった。乗馬、バンジージャンプなど、スピードがあって挑戦的なものが好きだ。7月には、ロシアでミグ25戦闘機に乗った。フライト後は体が動かなかったよ。

??余暇
 自然がすきで、クマ、ゾウ、鳥、ヘビ、トラ、シカなどを飼っている。あとはドライブ、骨董品の収集。自宅(スクムビット通りのコンドミニアム、バーン・プロームポンの13、14階)にはインド、ミャンマー、スリランカなどのアンティークがたくさんある。今使っているベッドは、ミャンマーの古木でできた150年以上前のもの。あの上で何人死んだことやら。 

??タイ語の姓
 もともとの「セードゥー(姓邱)」を、父が「ドゥーワチャラジャルーン」に変えたが、どうにも覚えにくいと思っていた。89年に、友人のオード(パタラプラシット財閥のプラディット・パタラプラシット民主党幹事長)とニューペッブリ通りにビルを建てたが、このビルの名前が、ウィクロムとプラディットを合わせクロマディット。覚えやすいし、ついでに自分の名字にした。

??ビジネス
 金に取りつかれていると認めねば。小学1年の時に豆を売ったのが始まりで、台湾留学前には、数万バーツの貯金があった。30年前では相当なものだ。

 台湾から帰国した75年に、母親から8万バーツ、いとこから4万バーツを借りて会社を設立し、貿易を手がけた。父から資金援助を受け、飼料工場もやったが、火事で工場が焼け、2,000万バーツが消し飛んだりもした。

 89年に、スワット・リパタパンロップ(国家開発党党首、労相)、スパラック・アムプット(ザ・モール・グループ副社長)、チャワリット・ヨードマニー(警察大将)といった友人に出資してもらい、アマタの前身であるバンパコン工業団地2を開業した。後にバンコク銀行のソーポンパニット家、シーフアンフン家(タイ旭硝子元オーナー)、伊藤忠商事なども株主になった。

 97年にタイ証券取引所(SET)に上場し、2000年に社名をアマタに変更。現在、タイのアマタ・ナコーン(チョンブリ県)とアマタ・シティ(ラヨン県)、ベトナムのアマタ・モダン(南部ビエンホア省)の工業団地3カ所を運営している。

??事業計画
 入居している工場は、アマタ・ナコーンが270、アマタ・シティが60。これを2005年にそれぞれ400、100に増やしたい。2010年の目標は、両工業団地合わせ、700工場、入居企業の従業員20万人、売り上げ1兆バーツ。
 ベトナムのアマタ・モダンには、アマタが54%、ベトナム政府が30%、CPグループ、サイアム・セメントなどが残る16%を出資している。入居工場は60。ベトナムでは別に、ホーチミンから15キロメートル程離れた港湾近くに、新たな工業団地の開発を予定している。

??政治
 外交に興味があったから、外務大臣になりたかった。が、そのころはまだ準備不足で、見送った。今はその気はない。政治家は我慢しなくちゃいかんし、抑制しなくちゃいかん。昔はまだできたが、今はもうだめだ。

??人生
 自分の人生はゼロから始まりゼロに終わる。ゼロとゼロの間に幸福と誇りを得たい。


〈ウィクロム・クロマディット〉
1953年3月17日カンチャナブリ県生まれ。国立台湾大学卒。

(03年2月10日掲載)
《newsclip》