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元鉄鋼王、サワット・ホールンルアン(何国芳)氏

2003年3月27日(木) 16時47分(タイ時間)
 「逃げない、金はない、払わない」。債権者との交渉中に言い放ったこの一言で時の人となったサワット・ホールンルアン氏。一代で築き上げた鉄鋼帝国を、1997年の経済危機で失ったが、「ネアカ」な性格と潔さで、合併鉄鋼会社ミレニアムスチールの初代社長に就任した。

■本の虫 教会で英語をマスター

 サワット氏は1941年10月1日、バンコク生まれ。中国・広州からタイに渡った移民の2代目。父親は腕のいい旋盤工で、後に自分の工場を持った。

 8歳のときから、広州の親せきの家に預けられ、中国の学校に通った。14歳でタイに戻り中学校に入りなおし、20歳で高校を卒業したが、大学には進学しなかった。

 「タイの学校では、同級生と年齢が違うし、教え方も肌に合わなかった。あまり学校には行かず、図書室で借りた本を、学校の隣にあった教会で、手当たりしだい読んだ。だから学歴はないが、知識は結構あると思う」「教会では、西洋人の女性から英語を教えてもらった。おかげで英語の成績は一番だったよ」「映画もよくみた。世界を広げ、英語の勉強にも役に立った」。
 
■30年で鉄鋼帝国

 高校卒業後、同郷の華僑が経営する製糖工場に5年間勤めた。退職後しばらく、父親の旋盤工場を手伝い、後に長兄と組んで、製糖工場向けなどの機械設備販売、条鋼の製造販売に乗り出す。2度の倒産の危機を乗り越え、80年代後半には大手鉄鋼メーカーに成長し、工業団地(イースタンシーボード工業団地、イースタン工業団地、チョンブリ工業団地)、深海港(シラチャー・ハーバー)にも手を広げた。

 88年に電炉のNTSスチール・グループ、94年に熱延鋼のナコンタイ・ストリップ・ミル(NSM、最大年産150万トン)を設立し、工業団地のヘマラート・ランド・アンド・デベロップメント(HEMRAJ)を加えた3社を、92?94年にタイ証券取引所(SET)に上場。サハウィリヤ・スチール・インダストリー(SSI)、SSP(泰興鋼管)グループと肩を並べる業界のトップ3にのし上がったが、破局は目前に迫っていた。

■「Dead Man Walking」

 巨額の投資を外貨借り入れでまかなっていたNTSとNSMは、97年のバーツ暴落で、700億バーツを超える負債を抱え経営破たんした。

 「終わったと思ったよ。何しろ1日で借金が何千万バーツと増える」「性格が明るくなかったら、もしくは明るくしようと思わなかったら、この5年で確実に死んでいた」。

 「金はない」のセリフは当時、債権者との応対で飛び出した。恥知らずな発言として、マスコミで大きく扱われたが、突き抜けたおかしみがあるのも確かだ。

 このころ、気分を引き立たせようと、ロールスロイスで出社したり、ピンクや赤いシャツをよく着た。「恥ずかしくないのか、車を差し押さえられるのが怖くないのか、とか聞かれたが、車は金があったときに買ったもの。一所懸命働いた自分への褒賞だ。何も恥ずかしくなどない」と開き直った。

 あまりに厳しい状況に、持ち前の明るさを失ったこともあった。「交渉中、ふと、債権者連中に言ったんだ。今誰と話してるか知ってるかね。“Dead Man Walking”(生けるしかばね)、何も失うものはない」。

■合併会社社長に

 苦しみ抜いた再建交渉は02年7月、NTSとサイアム・セメント(SCC)グループの鉄鋼2社の合併が債権者の承認を得、ひとまずの峠を超えた。

 同年12月18日に正式発足した合併会社、ミレニアム・スチール(MS)は最大年産170万トン、資産総額190億バーツ、負債総額110億バーツ。出資比率はSCC45%、NTSの債権者グループ44.65%。NTS元オーナーのサワット氏は、合併と債務の株式化で出資比率が2%まで縮小したが、初代社長に選ばれた。

 サワット氏は最近、石油化学最大手TPIグループのプラチャイ・リャオパイラット氏とよく比較される。どちらも半生をかけ築いた事業を経済危機で手放す羽目になったが、プラチャイ氏がおん念に満ちた戦いを続けるのに対し、サワット氏は総じて「潔く振舞った」と男を上げた。

 「彼と目的は一緒だが、やり方が違っただけ。私はあんまりシリアスに考えるほうじゃないから。オーナーでもなんでもなくなったが、前と同じように出社し、同じように働いている」「金が一番あったときも、ヨットを買って何カ月も遊んだりとか、そんなことはしなかった。お気に入りのオープンカーと、となりに座ってくれる美女がいれば十分だよ」。

■ヒトラーのオープンカー
 「生まれてこの方、新車を買ったのは一度きり」。サワット氏の趣味といえば、クラシックカーの収集に尽きる。自宅や都内クロンタン交差点のSMビルなどに保管されている車は、ベンツ、ロールスロイス、ベントレーなど50台に及ぶ。

 「20代の後半、30手前ぐらいのときに、ボグゾールの中古車を買った。2台目は2ドアのボクスワード。8,000バーツだった。かっこよかったな。次はナッシュ。これは故障したときに修理代がなくて、売り払った。今でも惜しいことをしたと思う」。

 土日のほとんどは、愛車の手入れで過ごす。エンジンの調子を保つため、公道を走るときもある。

 毎日の出社に使うのは、元南ベトナム大統領の持ち物だったという黒のベンツ300(6ドア)。南ベトナム崩壊後、タイで売られていたのを見つけた。「買い値は300万バーツぐらい。しかし修理に1,000万バーツかかった。中古車に1,300万バーツなんて馬鹿らしいと思うかもしれないが、ジョン・レノンもこの車に乗ってたんだ」。

 1940年代に作られたベントレーもお気に入りの一台だ。タイの王族の持ち物だったが、英国に買い戻されていたのを発見し、ロンドンで買い取った。

 未だに手に入らない車もある。「アドルフ・ヒトラーのベンツのオープンカー。遺族の一人が所有していて、100万ドルで売るといっていた。長い間連絡とってたが……」。(2003年3月)
《newsclip》