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〈インタビュー〉ポンサック・ラックタポンパイサーン氏

2004年2月25日(水) 14時28分(タイ時間)
??生い立ち

 華人系一家の8人兄弟の6番目。両親は中国・汕頭からタイに移民し、中部のナコンサワンで日雇いの肉体労働をしていた。家は貧乏で、兄弟のほとんどは小学校4年までしか行っていない。大卒は私1人だ。

 元の姓は「アン」。両親は中国語を話したが、読み書きはできなった。私は中国語は全くできない。子供のころは「姓アンの男の子ペン」と呼ばれた。小学校高学年のときに、長兄が全員にタイ語の名前をつけた。そのときつけてもらった名前が「ポンサック・ラックタポンパイサーン」。


??苦学生から実業家へ

 私はどうしたわけか勉強ができたので、頼み込んで中学に行かせてもらった。卒業後、バンコクで仕事を探したが、行った先で高校の試験を受けて合格し、高校に進学した。その後チュラロンコン大学の入試にも受かった。高校・大学の学費と生活費は家庭教師のバイトとカシコンバンクの学生向け融資で賄った。

 チュラ大では反政府運動やらスポーツやらで忙しく、卒業するのに6年かかった。大学時代の友人は、タマサート大学講師のティーラユット・ブンミー(著名な学生活動家)、工業団地公社総裁のアンチャリー・チュアニット、アサンプション大学工学部長のスティポン・パトゥムテワピバーンなどだ。

 大学卒業後、建設会社のカムペンペット・ウィワットに就職し、2年後に建設請負会社のウエスタン・エンジニアリング社を設立した。主に民間の住宅建設を手がけた。6年ぐらいして、不動産開発に乗り出した。最初に開発した分譲住宅地がケーシニーだ。

 ウタイ・ピムチャイチョンさん(現国会議長)が商務相だったときに顧問を務め、随行して海外に行く機会があった。そこで大使館員の子供などに教育を行っているワシントン・インターナショナル・スクール(米ワシントンDC)を視察した。英語教育を行っていて、卒業生は有名大学にも進学していた。タイ人の子供が英語で教育が受けられる環境を作りたかったので、タイでも開校してくれないかと打診し、98年にKISインターナショナル・スクールが開校した。当初は生徒が全部で60人、外国人は1割しかいなかったが、現在は全部で200人以上、外国人が3割近くになった。


??ゴルフ人脈で政界進出

 事業を始めてゴルフをするようになり、ゴルフ場でいろいろな政治家と知り合った。ウタイさん、サノ・ティエントーンさん(愛国党顧問会長)、タウィット・クリンプラトゥムさん(ソラアート社会開発福祉相の父)、モントリー・ポーンパニットさん(元社会行動党党首)といった方々だ。前から政治には興味があったので話をするようになって、88年にウタイさんが党首だった進歩党の副幹事長に就いた。その後連帯党副党首、新希望党役員などを務めた。

 愛国党に参加するきっかけは、アルパイン・ゴルフ場(中部パトゥムタニ県)。あそこの顧問をしていたのだが、90年代の終わりに、オーナーのサノさんがタクシンさんに売ることになり、橋渡し役を務めた。そこでタクシンさんと知り合った。タクシンさんが政党を作るというので、いろいろ政策を聞いて、これはいいと思い、結党後参加した。02?03年に首相副秘書官長を務め、03年に教育相補佐、03年10月に副商務相として入閣した。

1950年9月16日、中部ナコンサワン県生まれ。チュラロンコン大学工学部卒。KISインターナショナル・スクール(www.kis.ac.th)会長、グローリー・コンストラクション会長などを経て政界入り。9歳の双子の父。余暇には技術、経営に関する本を読む。スポーツは水泳、ゴルフ。タクシン政権で副商務相、運輸相など。
《newsclip》