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「私の名前はアユ。あなたは何ちゃん?」

2004年7月18日(日) 10時00分(タイ時間)
 マジョが日本人観光客に声をかけているのが聞こえてきた。確か去年は別の名前を使っていたのをふと思い出した。お茶を一緒に飲んでいた彼女の両親と一緒に高床式の家からマジョがいる店へ行ってみる事にした。


この村に毎年来るようになって4年が経つ。

 タイ北部メーホンソン市街から約30キロ、ミャンマー国境のすぐそばにあるナイソイ村はキリスト教の教会と学校のある観光地だ。お土産を売る店の前で日本人がマジョと話している。

 それにしても彼女の語学力はすごい!英語はもとよりフランス語、ドイツ語、日本語、もしかしたら韓国語も話すかもしれない。僕とはビルマ語とタイ語で話しをするが、たまに知らない日本語を質問してくる。

 彼女の母親マテが観光客に店の椅子に座るように勧め、ギターを弾き歌う。周りにある土産物屋から、彼女の歌声を聞いて他の観光客が集まって来て、村で一番首が長い彼女を写真やビデオを撮っている。

 歌が終わると一緒に記念写真を撮り土産物を買って帰って行く。ほとんどの観光客はこの村にいるのは一時間程で他の観光地に行ってしまう。夕方近くになると観光客も村に来なくなるので子供達は輪になって遊び始める。村の若者達は村のはずれでバレーボールをしている。

  女性達はメーホンソン市街から来た行商のトラックに集まって食料品や日用品、首に巻く真鍮のワイヤーなどを買っている。


 マジョが僕に遊びに行こうと誘ってきた。と言っても100メートル程の道が一本あるだけの村なので遊びに行く場所は教会、学校、と親しい家を訪問するぐらいだ。

 彼女らはミャンマーからの避難民なので、村から外に出るのを禁止されている。だが村の診療所が手に負えないような病気の時は特別に市内の病院に行く事はできるそうだ。村の中心に共同の水場があり食事の支度や水浴びする人たちにマジョが声をかける。家々で煮炊きする煙も出始めた。観光客がいなくなりプライベートな時間が来たので人々は普段の生活を送っていた。


 初めてこの村を訪ねたときはマピューの家に泊まらせてもらった。彼女の父親はゲリラの仕掛けた地雷で片足をなくし義足をつけ不自由な生活をしていた。

 当時はこの村周辺も夜間は危険で警察官が同行し、国境パトロールの巡回が頻繁に村に来ていた。12月のある夜に他の村から同じ避難民のカレン族が、村へクリスマスソングを各家庭に3〜4曲プレゼントしにやって来た。

 蝋燭を持ち家の前で歌いクリスマスを祝い合う姿は霧の濃い山の斜面にあるこの村をいっそう神秘的にした。「来年も必ず遊びに来て」 村から出られない彼女たちの言葉に送られならがバイクで市街へと帰る。







首長族(パダウン族)

 メーホンソンのミャンマー国境付近にある三つの村に住んでいるミャンマーの山岳民族。ミャンマーでカレン族迫害が厳しくなりタイへ逃げて来た人々がタイ政府の管理する村で暮らしている。カレン族の一部族の彼らは、女性は子供の頃から首に真鍮を巻き首を伸ばす。首が長い方が美人とされている。男性はミャンマー人と同じくロンジー(巻きスカート)をはいている。村には耳だけを長く伸ばした女性達の耳長族もいる。
《newsclip》