RSS

首相弁護人から実業家へ・ ウィチャイ・トーンテーン氏

2005年11月25日(金) 10時00分(タイ時間)
 東部チョンブリ県出身。1947年、7人兄弟の末子として生まれた。実家は貧しい農家だったが、父は民間医療に従事する傍ら、民主党員としても活動していた。

 タマサート大学法学部卒業後、すぐに弁護士になりたかった私は、修士課程に進まず、著名な弁護士として知られるタウィー・チャルンピタック氏に直接頼み込んで事務所に就職させてもらった。1970年のことで、その後13年間、氏が亡くなって息子が後継者となるまで働いた。79年の経済危機のとき、ある投資証券会社のアドバイザーとして経営再建に関与し、この功績で、後に立ち上げた私の事務所にも絶えず仕事が入るようになった。またこの仕事で株の仕組みにも精通するようになった。

 当時、顧客から報酬代わりに土地をもらうことが多かったため、89年のバブル期から不動産業にも手をつけ始めた。94年には経営破たんした西部ラチャブリ県の病院を買収、私の病院ビジネスはここから始まった。99年には後輩が経営しているシカリン病院の再建のため仲間と共同で投資。02年ごろには経営が安定してきたため、後輩を再びオーナーに戻した。

 現在私が仲間と共同で株を持っているパウロ・メモリアル病院は買収コスト以外に2億バーツを投じて2000年から再建を開始した。今年は純益1億8000万バーツを計上すると予想している。パウロ病院グループ(サパンクワーイ、チョクチャイ4、ウドン、サムットプラカン)を経営するパウロ・メディックの現在の資本金は2億バーツだ。

 私にとって最大の病院ビジネスの一つが、2003年のパヤタイ病院グループを経営する私立病院大手プラシット・パタナ(PYT)の買収だ。135億バーツの負債を抱えて経営破たんしたPYTのオーナーから再建を依頼されたもので、設備投資などに3億5000万バーツ以上を投じている。

 現在は2つの大病院の経営に当たっているわけだが、合併は考えていない。それぞれの病院の特色を尊重すべきだと思っている。異なるブランドネームの統合は利用者の混乱を招く恐れもある。

 父の影響もあり、男兄弟4人のうち3人は医療関係に従事。四男のウィチアンは医学博士(元国立心臓病センター所長)、六男はシリラート病院で薬剤師をやっている。自分の長男アットはパヤタイ病院グループ社長、次男のイッティはパウロ・メディックの取締役、長女ウィオンは最近買収したファミリーレストラン・チェーン、DAIDOMONグループ社長、三男はまだ学生だ。

 タクシン首相の資産隠し疑惑裁判で首相の弁護人を務めたが、それ以前に個人的な面識はない。法務省に務める大学時代の同級生経由で弁護を依頼されたのだ。
《newsclip》