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天空の村に生きる インド・スピティ地方

2006年3月24日(金) 17時49分(タイ時間)
 その女の子の仕事は、糞を拾うことだった。村や畑に点々と落ちているヤクの糞を、ひび割れだらけの手で拾っては、背負った籠に放り込む。糞は貴重な燃料源として、やっと電気が通るようになった今でも、村では広く使われている。まだ7、8歳だろうか。吹きすさぶ冷たい風も、痛みすら感じる厳しい日差しも意に介さず、淡々と作業を続けながら、荒野に消えていった。


 インド北部の果ての果て、スピティ地方キッベル村。標高4205メートル。


 世界で最も高い場所にある村のひとつであり、周辺には月面のような無音の地平が広がる。乏しい電気、水は給水車頼り、眼病が蔓延するほどに強烈な紫外線。1年の半分は峠が雪で閉ざされ、下界と隔絶される。森林限界を越えた標高のため、行けども行けども高地砂漠が続くばかり。


 これほど過酷な環境でも、子供たちは家事を手伝い、友達同士ふざけあって、当たり前のように暮らしている。荒涼とした岩山で羊を追い、インド政府の支援で最近やっと建てられた学校に時々は通い、荒れた土地で麦を育てる。


 そんな彼らに対して、貧しいとか不衛生とか、子供が働かされているとか、上から見下ろすように「同情」することもできよう。しかしスピティの人々は、与えられた環境に疑問を持たず、恐らく「幸福に」生きている。


 生活や心の支えとなっているのが、チベット仏教だ。スピティ地方はチベット文化圏の西端に位置しており、無数のゴンパ(僧院)が点在している。峠にはチョルテンという仏塔が大地を睥睨し、五色の旗タルチョが高原の風に翻る。タルチョには経文が書かれており、はためくたびに仏法を世に広めると伝えられている。


 チベットというと、中国本土のチベット自治区を想像するだろう。しかし文化大革命や、現在も続くチベット弾圧によって、中国国内にあるゴンパはそのほぼ全てが破壊し尽くされた。その後再建されはしたが、歴史を宿したゴンパが多く残っているのは、むしろインド国内なのである。スピティのみならず、ダライ・ラマが居住し、チベット亡命政府が置かれているダラムサラーや、ラダック地方など、インド最北部は「小チベット」とも呼ばれている。


 キッベル村の近くにあるキー・ゴンパは、11世紀の建造とされるスピティ最古のゴンパ。ここにはおよそ400人の僧が所属しているが、うち半数は常にインド国内外を回って、チベット仏教の教えやチベット独立について講演などをしているそうだ。


 屋上からは、スピティ渓谷の圧倒的な景色が見渡せる。


 空は蒼を通り越して、もはや黒みを帯びている。下界よりも、宇宙が近いことを示すその濃紺に目がくらむ。希薄な大気の中で、月面さながらの景色を見ていると、現実感を喪いそうになる。遠くに目を凝らせば、白く塗られた土壁の家が、寄り添うように密集して、ヒマラヤの山塊にへばりついている。


 大山脈と、宇宙。巨大すぎる存在に囲まれて、村々はあまりに微小だ。「自然の前では、人間は塵芥に等しい」 そんな言葉が具現化したような光景に、原始的な恐怖がこみ上げてくる。


 そこに、ヤクのバターで作られた灯明の、甘い匂いが漂って、安心感をもたらしてくれる。そう、人間はこんな場所でも文化を育んでいるのだ。極限の環境下で糞を拾いながら、心を支える教えを守りながら、どうにか寄り添って生きていける。


 第三の極地とも呼ばれるチベット高原の最果てで見たものは、人間の儚さと逞しさ、我々の中に矛盾しながらも同居する、生命の本質のようなものだった。

写真・文:橋一弘
《newsclip》