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野党の長老

2006年6月4日(日) 16時51分(タイ時間)

 チュアン氏は1938年、南部トラン県の貧しい華人家庭に生まれた。中国名は呂基文。寺に寄宿するなど苦学し、タマサート大学法学部を卒業。弁護士として活動した後、69年、地元のトランで民主党から下院選に出馬し当選、以来トランで連続当選を誇る。

 民主党では、弁護士時代に培った切れ味鋭い弁舌と敵を作らない温厚な性格で徐々に立場を固め、法相、商務相、教育相などを歴任し、92年に党首に就いた。この年、軍事政権が民主化勢力を武力弾圧し多数の死者が出た5月流血事件が起き、その後の総選挙で、民主党は最多議席を獲得した。チュアン氏は、チャワリット元陸軍司令官(後に首相、現愛国党顧問)率いる新希望党、ジャムロン元バンコク都知事のパランタム党など軍政に反対した政党で連立政権を組み、首相に就任、事態収拾に当たった。

 民主党は95年の総選挙で敗れ下野したが、97年の経済危機でチャワリット政権が崩壊し、後始末を任される形で新たな連立政権を組み、チュアン氏が首相再登板となった。新政権は金融のエキスパートであるターリン氏を財務相、後に世界貿易機関(WTO)事務局長となるスパチャイ氏を商務相にあて、地道な努力で危機を乗り切った。

 しかし一連の政策は国民に不評で、01年の総選挙では、タクシン氏率いる愛国党に完敗した。チュアン氏は03年に任期満了で党首を退き、以来民主党の党勢は衰える一方となっている。

 チュアン氏はタイ政界では珍しく汚職と無縁といわれ、首相在任中はバンコクの下町の借家住まいだった。資産は数百万バーツと中流サラリーマン程度。誠実な人柄で国民に人気があったほか、プミポン国王から深く信頼されていることでも知られる。国王は05年の国王誕生日でもわざわざチュアン氏に触れ、「(国王が提唱する)自給自足型経済をよくわかっていた」とほめた。

 首相としては「妥協型」「判断が遅い」といった批判を受けた。ただしこれは、連立政権の上、本人に財力がないという条件も影響したとみられる。

 学生時代に一時芸術家を目指し、現在もスケッチや笛の演奏を好む。私生活ではパートナーの女性との間に息子1人。兄のラルック氏は約20年前に勤め先の銀行(カシコンバンク)から2億バーツを横領、海外に逃亡し、行方がわからないままだ。

 現在民主党党首を務めるアピシット・ウェーチャチーワ氏(41)は、チュアン氏が手塩にかけ育てた愛弟子だ。名門出、高学歴と生まれ育ちには隔たりがあるが、穏健中道というチュアン路線の継承者であるのは間違いない。ただ、修羅場の経験不足からか、タクシン首相vs対抗勢力の権力闘争でアピシット氏の存在感は希薄。一部マスコミや学者はピリッとしないアピシット氏に「首相候補失格」のらく印を押し、チュアン氏にコメントを求めるケースが増えている。
《newsclip》