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右腕が敵手に?

2006年6月29日(木) 16時34分(タイ時間)

【タイ】警察士官学校を首席で卒業し、米国の大学で博士号を取得、士官学校で教官を務め……、と聞くと、タクシン・チナワット首相を思い浮かべる人もいるだろう。プラチャイ・ピアムソムブーン氏とタクシン首相は互いの影のように、人生の半ばまで同じ道を歩んだ。教育者と実業家に別れた道は、政治に向かい再度交錯し、両者の違いが明らかになる。

 プラチャイ氏とタクシン氏の仲は三十数年前、警察士官学校時代に遡る。プラチャイ氏は25期、タクシン氏は26期の秀才として知られ、両氏とも首席で卒業した。性格が頑固なところも共通する。プラチャイ氏のきまじめで融通の利かない性格は当時から有名で、士官学校の仲間に、「小箱(学校で使った衣装箱)野郎」という、あまり芳しくないあだ名を頂戴したという。
 
 卒業後、プラチャイ氏は国費留学生として米国に渡り、刑法学修士号と犯罪学博士号を取得。帰国後短期間、警察士官学校の教官を務めた。ここまでの経歴はタクシン氏とほぼ同じだが、タクシン氏が実業家に転身したのに対し、プラチャイ氏は教育者の道を選び、81年にタイ国立行政開発院(NIDA)に移籍した。91年には学長に就任し、NIDAの機構改革で、地味ながら評価を受けた。

  「きまじめな校長先生」で終ったかもしれない人生は、旧友、タクシン氏の政界入りで急展開する。プラチャイ氏はタクシン氏と連れ立って94年にパランタム党に入党、95年にNIDA学長を辞任した。

 タクシン氏は94年に外相に就任したものの、通信事業権絡みで閣僚資格を問われ、在任数カ月で閣外に追われてしまった。再起を期すタクシン、プラチャイ・コンビは98年7月、愛国党を設立。プラチャイ氏は比例代表名簿2位の幹事長として党勢拡大に努め、2001年総選挙の大勝の立役者の1人となった。

 新政権でのポストは、警察と地方行政組織を握る巨大組織、内務省の大臣。内相ポストは裏社会にも通暁した政界の大ベテランの指定席とされていただけに、学界出身で無名に近いプラチャイ氏の就任は、新鮮な驚きで迎えられた。

 プラチャイ氏は就任早々、「社会悪」の撲滅を目指す「社会秩序政策」を打ち出した。当初は冷やかし半分でみられていたが、歓楽街の深夜営業禁止などで新任の内相が本気だとわかると、侃々諤々(かんかんがくがく)の論争が巻き起こった。夜の街にも影響力を振るうサノ愛国党顧問会長(当時)はプラチャイ氏の更迭を画策し、首相のもとには歓楽産業からの苦情が殺到した。

 首相は一時、内相解任に傾いたようだが、圧倒的な世論の支持が、プラチャイ氏を救った。政財界で当然として受け入れられていたバンコクの歓楽産業も、一般市民には我慢しがたいものだったのだ。国民の支持を受けたプラチャイ氏は、未成年や女性の夜間外出規制キャンペーン、麻薬取り締まりを狙った歓楽街での抜き打ち尿検査といった過激ともいえる政策を次々に実施。テレビにも頻繁に登場し、従来の政治家にないクリーンで誠実なイメージで、一躍お茶の間の人気者となった

 世論の支持が急上昇する一方、内務省内の人気は散々だった。警察の内情を知るだけに、「誰も信用しない」のは仕方のないところかもしれない。しかし、次官でも面会には3日前に予約が必要で、副次官、局長クラス以上でなければ原則として面会を許さないなど、管理スタイルは権威主義と硬直さが目立った。あまりの旧態依然に、次官を含む複数のトップ官僚が省を去った。

 タクシン首相はプラチャイ氏の動きを注意深く見守っていたようだ。政権発足1年後には、党幹事長をより融通が利くスリヤ・ジュンルンルアンキット氏に変え、02年10月の内閣改造では、プラチャイ氏を内相から法相に移した。法務省は省機構改革で権限・規模が拡大し、同省への転任自体は首相の信任の証しと受け取られたが、法務次官は首相の義弟のソムチャイ・ウォンサワット氏であり、プラチャイ氏に手綱をつけたいという思惑が見え隠れする。

 ただ、こうした細工はうまく働かず、プラチャイ氏は席が暖まる暇もないうちにソムチャイ氏ら法務官僚と正面から激突。官僚の肩を持った首相によって03年2月に副首相に転任となり、その後は表舞台に立つことなく、05年2月の下院総選挙を前に離党、政界を離れた。

 プラチャイ氏はその後、留学中の息子がいるニュージーランドで過ごしていたが、愛国党政権の危機を受け帰国し、政界への再登場をうかがっているという。傷つけられたプライドと未だ衰えぬ世論の人気。タクシン首相は旧友に変わり、危険な対手にまみえることになりそうだ。


「法」と「金」

 プラチャイ氏は中世の封建秩序、サクディナ制の信奉者といわれる。タイ人とは思えぬほど秩序に重きを置き、3人の子どもにはいずれも「ターム(法)」という言葉の入った名前をつけた。同じく3人の子持ちであるタクシン氏は、全員の名前に「トーン(金)」という言葉を入れた。


〈プラチャイ氏略歴〉
1950年8月1日生まれ。出生地はバンコク。父親はチュアン・ピアムソムブーン警察少将。6人兄弟の次男
1972年警察士官学校を主席で卒業。タクシン首相よりひとつ年下だが、士官学校では1期上
1975年米ミシガン州立大学で刑法学修士
1979年米フロリダ州立大学で犯罪学博士
1980−81年警察士官学校教官
81−87年NIDA助教授
87−96年NIDA教授
89−91年NIDA副学長
91−95年NIDA学長
95−97年ウタラディット・ラジャパット大学理事長
98−01年愛国党幹事長
00−01年チナワット大学学長
01−02年内相
02−03年法相
03−05年副首相

プラチャイ・ピアムソムブーン元副首相
《newsclip》