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カンボジアの大遺跡、コーケー

2006年8月18日(金) 10時18分(タイ時間)
 タイで生活している人でアンコールワットの名を一度も聞いたことがない人はいないであろう。しかし、コーケーとなると、知っている人は少ないのではなかろうか。

 意外に思われるかもしれないが、すでにこの遺跡は何度も日本のテレビで紹介されている。今まで一般の観光客はとても近づけなかったそのコーケーに、今年からジャングルを強引に切り開いた一本道を使って、正式にアクセスできるようになった。コーケーへ行く方法として、資金の豊富なテレビ局の取材チームはヘリコプターを使っていたが、車の場合大きく迂回して、数日がかりで延々と悪路に揺られて行くしかなかった。それが、アンコール観光の拠点となるシェムリアップの町から約3時間で行くことが出来るようになった。


 コーケーはアンコール王朝の歴史の中ではちょっと変り種、異端児の王が一代で築いた都の跡だ。場所もアンコール地域から直線で北東へおよそ70キロ離れた所にある。現在のアンコール地域にはじめて都を築いたのは、初代ジャヤヴァルマン2世からおよそ1世紀を経て登場した4代ヤショヴァルマンで、9世紀末のことある。歴代の王達はこの地に都を造り続けるのだが、5代と6代王の母方の叔父にあたるジャヤヴァルマン4世が、王国を分裂させ自ら別の所に都を造り王位に就いてしまった。つまり10世紀はじめには、アンコール王朝に同時に2人の王が存在したことになる。ジャヤヴァルマン4世が亡くなった後、アンコール王朝は再び統一され、コーケーは再びジャングルに戻ってしまった。

 コーケーの遺跡は広い地域に分散していて徒歩で全部見て歩くわけにはいかない。見所は大きく2つのエリアに分けられる。7層のピラミッド型祠堂を中心とするプラサートトムと呼ばれる寺院群と、ずんぐりとした大ぶりなリンガ(シヴァ神の象徴)を中心に据えた小祠堂が建ち並ぶエリアだ。この時代のもう一つの特色である動きのある彫刻は、博物館に納められているが、打ち壊された彫像の残骸の一部が祠堂内に放置されている。現場に残されていた浮き彫りは、ほとんど盗難の被害にあっている。いつごろ削り取られたのか聞いてみると、97〜98年だという。98年は5年ぶりにカンボジア総選挙のあった年だ。

                
 未だコーケーを訪れる観光客は少なく、ほとんど人と会うことはないが、たまに遺跡ポリスだか軍関係の人間だかに出会うことはある。今は正式に観光客を入れているので、問題はないだろうが、以前は彼らに遭遇することの方が怖かった。地雷も2年前に初めて訪れた時、およそ100人ほどの地雷処理チームが作業していたので、普通の場所は大丈夫だろう。しかし、未だ撤去が終わってない所もあるので、赤い髑髏マークの立て札がなくても変な所へは入って行かない方がいい。

 現在、遺跡を見るには10ドルの入場料を払わなければならない。現地には宿泊する所はおろか飲み物を売っている店もないので、ほとんどの観光客は日帰りだ。コーケーに限らず、ベーンメリアやクレーン山などといった他の遺跡もアンコール地域の入場料とは別に徴収する。これらの収入のかなりの部分は国庫に入ることなく、一個人や企業の懐に収まっている。そもそも国の宝であり誇りでもあるアンコール地域の巨額の入場料が、カンボジア人の嫌うベトナム人の企業に流れているという奇妙なことをやる国である。さすが汚職と賄賂の国カンボジア、なんでもありといった感じだ。遺跡のレリーフを削り取って売り飛ばすだけでなく、遺跡自体をすら切り売りしている。
《newsclip》