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15年ぶりのクーデター タクシン政権の崩壊の理由は?  

2006年9月26日(火) 11時14分(タイ時間)
【タイ】15年ぶりに起きた軍事クーデター。唐突な感がある一方、かなり早い段階からうわさがあったのも事実だ。政治、経済ともに成熟したとみられていたタイでなぜクーデターが起きたのか?

 直近の要因をみると、10月の軍定例人事異動、首相暗殺未遂とされる事件、南部ヤラーとハジャイでの爆弾テロが挙げられるだろう。

 軍の人事は武力装置を誰が握るかという、タイの権力構造の根幹に関わる問題。軍の完全掌握を狙うタクシン前首相が強引に自派将官の昇進を図り、プレム枢密院議長、ソンティ陸軍司令官ら王党派を追い込んだ可能性がある。

 8月24日に前首相宅近くで大量の爆弾を積んだ車がみつかり、運転していた陸軍中尉が逮捕された事件は、当初から政府によるでっち上げ説が根強かった。軍の一部が本当に首相暗殺を狙っていた場合は捜査の進展で軍の警察に対する優位が崩れる恐れがあり、でっち上げとすれば、これまた軍とすれば許せないことだ。

 深南部のイスラムテロの激化は、実は大きな要因だったかもしれない。イスラム教徒のソンティ司令官は過激派との対話を望み、陸軍による問題解決、政府の不介入を求めたが、前首相に拒否された。このままでは内戦化するという恐れがクーデターの一因だったのは事実と思われる。

 次にクーデターを招いた下地をみてみる。

 タイの労働人口約3000万人のうち、所得税を払っているのは約700万人に過ぎない。4人のうち3人は直接税を払っていないわけだ。前政権はこの差に目をつけ、高額所得者、企業からしっかり搾り取り、30バーツ医療制度、100万バーツ村落基金といった政策として、「税金」の存在を知らない人々にばらまいた。こうして所得の再分配を行う一方、政権基盤の強化に成功した。

 問題はそこから。前首相が真剣に貧富の差の解消を考えていたのなら、強固な基盤を背景に、タイでタブーとなっている相続税の導入や教育改革などをすべきだったが、前者は論じられることもなかった。代わりに打ち出したのは、株式市場の育成振興、自由貿易協定(FTA)、国営企業の民営化などで、前首相はコーポレートガバナンスを謳いながらこうした政策と自分のビジネスが一体化したような利益誘導を平気で推し進めた。既得権益のはく奪、(前首相にとって都合のいい)市場開放を目指す政策は、アルコール飲料メーカーの上場反対(宗教団体)、タイ米FTA反対(農家など)、民営化反対(国営企業社員)といった形で街頭デモを引き起こした。

 徐々に逆風が吹き始めた今年1月、前首相一族は通信最大手シンの株式約50%をシンガポール政府の投資会社テマセクに733億バーツで売却した。この取引は個人によるタイ証券取引所での株売却として所得税が課税されなかった。この「節税」がきっかけで、所得税の納税者であろうバンコクの中間層が反首相に大きく流れ、反政府集会に数万人が集まるようになった。これがクーデターの原因だったかどうかはさておき、少なくともクーデターを起こす口実を与えたことになる。

 クーデターを起こした軍部の言い分は、(1)タクシン政権が国家を分断し、(2)汚職を蔓延させ、(3)王室を軽視した、というものだ。

 (1)は貧富の差をテコに使った政策で政治基盤を固めた結果であり、(2)は強固な政治基盤を背景に、裁判所や汚職防止撲滅委員会といった独立機関を骨抜きにし、チェック&バランス機能を失わせたためだろう。前首相自身を始め、閣僚に財閥代表を多く取り込んだ結果、利益誘導に歯止めが利かなくなった面もある。(3)は閣僚に元左翼学生活動家が多いことが、何かを暗示しているのかもしれない。前首相と元学生活動家の閣僚らが、国王の権限縮小を画策しているという報道が過去にあった。

 タクシン氏が目指したのは、師と仰ぐリー・クアンユー氏、マハティール氏の開発独裁体制だったのだろう。野党の存在を制度的に封殺し、万年与党が長期間安定した経済開発を行う。しかしそれは、主なき国の話。タクシン氏が6月末に「憲法外のカリスマ的人物が騒乱を起こそうとしている」と挑発した際、当の「カリスマ」と目されたプレム議長は「軍は馬、政府は騎手、馬主は国民・国王」と言い放った。今回の結果は、オーナーと勘違いした騎手を馬主が取り替えた、ということかもしれない。
《newsclip》