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元タイ首相未亡人のプーンスク・パノムヨンさんが死去

2007年5月13日(日) 14時48分(タイ時間)
【タイ】1932年の立憲革命を主導しタイを絶対王政から立憲君主制に移行させた故プリディー・パノムヨン元首相の未亡人のタンプーイン(タイ国王が女性に授ける高位の称号)・プーンスク・パノムヨンさんが12日、バンコクのチュラロンコン大学病院で死去した。95歳。故人の遺志により、葬儀は行わない。遺体は同病院に献体され、その後焼却、遺灰はチャオプラヤ川に散骨する。

 プーンスクさんは1928年にプリディー氏と結婚し、6人の子をもうけた。49年にプリディー氏がライバルのピブーンソンクラーム首相に追われ中国に亡命。プーンスクさんは1952年、国家の安全を脅かしたとして3カ月近く投獄され、53年に出国、中国でプリディー氏と合流した。一家は74年にフランスに移住、プリディー氏は83年にパリで客死した。プーンスクさんは86年にタイに帰国した。

〈プリディー・パノムヨン〉
 1900年、タイの中国人コメ商人の家に生まれた。仏パリ大学留学後帰国し、タイ法務省に勤務。若手官僚グループを組織し、1932年の立憲革命を主導、タイを絶対王政から立憲君主制に移行させた。34年にタマサート大学を創設。34—41年にかけ、内相、財務相、外相を務め、外相として諸外国との不平等条約の撤廃を勝ち取ったほか、タイ中央銀行の前身である組織を作った。

 日本軍のタイ進駐後の1942年、英米への宣戦布告への署名を拒否し当時のピブーンソンクラーム首相に解任され、その後、抗日運動を組織。第2次大戦が連合国側の勝利となり、46年3月に首相に就任。6月にラマ8世王が銃で撃たれ死亡、同年8月に首相を辞任。タイの共和国化を狙ったプリディー氏がラマ8世王の死に関与したといううわさが流れ、49年から中国に亡命。以来タイの土を踏むことなく、83年にパリで客死した。
《newsclip》