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タイ前政権与党に解党命令、タクシン時代に幕

2007年5月30日(水) 21時29分(タイ時間)
【タイ】前政権与党のタイ愛国党とライバル政党の民主党というタイの2大政党が昨年の下院総選挙での選挙違反に問われた裁判で、憲法法廷は30日、愛国党を有罪として解党を命じた。タクシン前首相ら選挙当時の愛国党役員111人は5年間被選挙権がはく奪され、復権は当面困難となった。民主党は午後の時点で無罪判決を受けており、次期政権の中核となる公算が高まっている。

 愛国党は民主党など有力野党がボイコットした昨年4月の総選挙で、単独候補が当選するのに選挙区内の有権者の2割以上の得票が必要という規定を回避するため零細政党に資金援助し対立候補を出馬させた容疑で有罪とされた。同党が「雇った」とされる小規模政党2党も解党命令を受けた。法廷はまた、タクシン前首相と愛国党が民主主義システムに害を与えたとして非難した。決定は最終で控訴できない。

 ジャトゥロン愛国党党首代行は判決後、集まった支持者らに、「判決は不当。こんなことは許されない」「民主主義を勝ち取るまで戦う」などと気勢を挙げ、喝采を浴びた。愛国党勢力は今後、街頭デモで抗議する見通し。タイ軍事政権は、事態が悪化した場合、バンコクで戒厳令を発令する方針で、政情がさらに不安定化する可能性もある。

 愛国党は警察官から実業界に転進し、通信事業でタイ屈指の富豪となったタクシン氏が98年に設立した。バラマキ型政策を前面に出した選挙手法と巨額の資金で2001年の総選挙で歴史的な大勝を納め、政権樹立後はタクシン氏の政策実行力と派手なパフォーマンスで高支持率を維持。中小政党の吸収・合併で、05年の総選挙ではタイ史上初の単独過半数を制した。しかし、強権政治に不満を強めた都市中間層の一部と、利権を奪われた旧勢力が反対に回り、06年 9月の軍事クーデターで政権崩壊した。

 毀誉褒貶(きよほうへん)があるものの、愛国党は、選挙での具体的な政策提示、政党による政策立案と優れた実行力、単独過半数、首相の任期満了、再選などで、タイ政治の常識を次々と打ち破った。反対派からは選挙対策と批判されたものの、1回1律30バーツの医療制度など、それまでの政府に無視されていた地方、貧困層に目を向けたのも確かだ。また、05年、06年の2度の総選挙で下院の過半数の議席を得た政党を軍事クーデターで追放、解党するという手法は、欧米からは民主的とみなされない可能性が高い。


〈タクシン・チナワット〉
49年、北部チェンマイ生まれの客家系華人。中国名は丘達新。警察士官学校を首席で卒業後、米国に国費留学し、刑事司法学博士号を取得。帰国後、警察に勤務するかたわら、官公庁へのコンピュータ・リース、不動産開発などを手がけ、87年に警察中佐で退職。携帯電話サービス最大手AIS、通信衛星のシン・サテライトなどからなる通信最大手シン・グループを育て上げた。95年に政界に転じ、98年に愛国党を創設。01年の総選挙で大勝し首相。05年2月の総選挙も圧勝、首相に再選された。06年9月のクーデターで追放され、英国、中国に滞在中。

〈ジャトゥロン・チャイセーン〉
56年生まれ。チェンマイ大学在学中に学生会長を務め、軍部の弾圧で一時国境地帯のジャングルに潜伏した。後に渡米し、ニューヨーク州立大学経済学部卒、アメリカン大学経済学修士。86年から下院連続当選。地盤は東部チャチュンサオ県。有力政党の幹事長、首相府相などを歴任し、タクシン愛国党政権で副首相、教育相。タクシン前首相とは疎遠だったといわれるが、06年9月のクーデター後、党有力者のほとんどが表舞台を避けたことから、同氏に党首代行ポストが回ってきた。
《newsclip》