【タイ】タクシン・チナワット氏は1949年、北部チェンマイ生まれの客家系華人。中国名は丘達新。実家はタイシルクなどのビジネスを手がける富裕な一族で、タクシン氏の父の代には下院議員など政治家、タクシン氏の代では軍、警察幹部を多く出した。タクシン氏の政界の盟友であるスダーラット・ケユラパン氏(前農相)、ネーウィン・チッチョープ氏(前首相府相)らの父親はチナワット一族の先代と政界でつながりがあった。
タクシン氏は警察士官学校を首席で卒業後、米国に国費留学し、刑事司法学博士号を取得。帰国後、警察に勤務するかたわら、官公庁へのコンピュータ・リース、不動産開発などを手がけた。数回にわたる倒産の危機をしのいで事業を軌道に乗せ、87年に警察を退職。その後短期間で、携帯電話サービス最大手AIS、通信衛星のシン・サテライトなどからなる通信最大手シン・グループを育て上げた。
95年、ジャムロン元バンコク都知事率いるパランタム党から政界入りするが、同党の分裂で一時撤退。98年にタイ愛国党(TRT)を創設し、バラマキ型政策を前面に出した選挙手法と巨額の資金で2001年の総選挙で歴史的な大勝を納め、首相に就任した。政権樹立後は政策実行力と派手なパフォーマンスで高支持率を維持。05年の総選挙ではTRTがタイ史上初の単独過半数を制し、タクシン氏は首相に再選された。
05年半ばから、大手新聞社創業者のソンティ・リムトーンクン氏による反タクシン・キャンペーンが始まり、バンコクで数千人規模の反政府集会が開かれるようになる。06年1月、タクシン一族がシンをシンガポール政府の投資会社テマセクに売却し、売却益に所得税が課税されなかったことが明らかになり、反政府集会が数万人規模に拡大。タクシン氏は事態を乗り切るため2月末に下院を解散、4月の総選挙で再度圧勝したが、民主党など主要野党3党が選挙をボイコットしたことから、プミポン国王が裁判所に善処を指示、憲法裁が5月に選挙の無効を宣言した。
タクシン氏は選挙後、国王に謁見し、その後、一時職務を離れると宣言したが、後に復帰。6月には国王側近のプレム枢密院議長(元首相、元陸軍司令官)との敵対関係が公然のものとなった。8月には首相宅付近で大量の爆弾を積んだ乗用車がみつかり、運転していた軍士官が逮捕された。
クーデターのうわさが広がる中、タクシン氏は9月に入り2週間という常識外れの長期外遊に出発。国連総会出席のためニューヨークに滞在中、ソンティ陸軍司令官を首班とする軍事クーデターが発生し、軍が内閣、上下両院を解散、憲法を停止し、全権を掌握した。タイでクーデターが起きたのは15年ぶりで、1932年の立憲革命以来18回目だった。
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