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タイ、6党連立でタクシン派政権発足へ

2008年1月19日(土) 18時31分(タイ時間)
【タイ】昨年12月のタイ下院選挙で第1党となったタクシン前首相派政党、パランプラチャーチョン党(PPP)と中小5党は19日、バンコクで記者会見を開き、連立政権を組むと発表した。王室軽視、汚職などを理由にタクシン政権を追放した2006年9月のクーデターは民意により否定され、タクシン派が復権する。ただ、軍事政権下で導入された新憲法により、政府と下院の権限は以前に比べ制限され、軍幹部、高級官僚が支配する事実上任命制の上院が行政ににらみを利かす形となり、タクシン派とクーデター勢力は当面、勢力均衡による休戦状態に入る見通しだ。

 連立政権を組むのは、PPP、PPPの前身である旧与党・タイ愛国党(TRT)から分離したプアペンディン(党首、スウィット元TRT副党首)、ルアムジャイタイチャートパタナー(党首、チェーター元陸軍司令官)、マチマーティパタイ(党首、実業家のプラチャイ氏)、プラチャーラート(党首、サノ元TRT顧問会長)の4党と、2001—2005年にTRTの連立パートナーだったチャートタイ党(党首、バンハーン元首相)。6党で下院(定数480)の約3分の2を押さえ、野党は民主党だけとなる。

 PPPのサマック党首(前バンコク都知事)によると、21日に下院が開会し、週内に首相を決め、15日以内に内閣の大枠がまとまる見通しだ。首相にはサマック氏が有力視されるが、クーデター勢力の反対が強いことから、バンハーン氏にチャンスが転がり込む可能性もある。

 PPPは下院選で単独過半数に迫る大勝を収めたが、選挙委員会による当選取り消し、再選挙が相次いだ上、プミポン国王の姉のカラヤニ王女の死去で政党が活動を自粛したことから、連立交渉が長引いた。PPPとの連立に否定的だったチャートタイのバンハーン党首、タクシン氏を強く批判していたマチマーティパタイのプラチャイ党首は19日の記者会見に姿をみせず、チャートタイはサナン顧問会長(元民主党幹事長)、マチマーティパタイはアンノワン幹事長(ソムサック元TRT副党首の妻)が出席した。

 クーデター勢力は昨年中、TRTの解党、タクシン氏らTRT幹部111人の参政権5年間停止、新憲法の導入、汚職容疑によるタクシン氏の起訴、同氏の資産凍結などで、タクシン派の解体を図ったが、タクシン氏に対する地方住民の支持は根強かった。引退官僚を中心とする暫定政府のつたない仕事振りなどで、バンコクでもクーデター支持は盛り上がらなかった。

 一方タクシン派はTRT解党後、既存の零細政党であるPPPに大挙移籍し、引退状態だったベテラン政治家のサマック氏を党首に招へい。サマック氏は、「自分はタクシン首相の代理人」「クーデターにいいことなど何もない」と、クーデター勢力と真っ向から対決する姿勢を打ち出し、選挙でのPPP勝利を呼び込んだ。また、英国で事実上の亡命生活を送っているタクシン氏は、タイでも大人気のサッカー、イングランドプレミアリーグのクラブ、マンチェスター・シティを買収するなど、巧みな広報戦略で存在感をみせた。 

 タクシン氏は今後2、3カ月以内にタイに帰国し、汚職容疑などの裁判に臨む考え。政界引退を表明しているが、実際には背後から政府を操るとみられる。これまで信賞必罰でけじめをつけてきただけに、同氏が「スーパーパワー」と呼ぶプレム枢密院議長(元首相、元陸軍司令官)らクーデター勢力をじりじり追い詰めることも予想される。また、今回連立政権に参加したTRT分離派4党は、「タクシン」という看板抜きで選挙を戦うことの難しさを実感したとみられ、政局が安定すれば、PPPに吸収される可能性がありそうだ。


〈タクシン・チナワット〉
1949年、北部チェンマイ生まれの客家系華人。中国名は丘達新。警察士官学校を首席で卒業後、米国に国費留学し、刑法学博士号を取得。帰国後、警察に勤務するかたわら、官公庁へのコンピュータ・リース、不動産開発などを手がけ、1987年に警察中佐で退職。携帯電話サービス最大手AIS、通信衛星のシン・サテライトなどからなる通信最大手シン・グループを育て上げた。1995年に政界に転じ、1998年に愛国党を創設。地方、貧困層へのバラマキ政策を掲げ2001年の総選挙で大勝し首相。2005年2月の総選挙も圧勝、首相に再選されたが、2006年9月のクーデターで失脚した。




〈サマック・スントラウェート〉
1935年、バンコク生まれ。貴族の家柄。タマサート大学法学部卒。1975年に副農相として初入閣し、1976年に右翼団体がタマサート大学を襲撃し多数の死傷者を出した事件で右翼暴徒を扇動したとされる。1970—90年代に副内相、内相、運輸通信相、副首相などを歴任。当初は民主党所属だったが、後にプラチャーコンタイ党を設立し、長く党首を務めた。2000年のバンコク都知事選で過去最高の100万票を得て圧勝したほか、2006年の上院選でも最多得票で当選。自らフライパンを握るテレビの料理番組などを通じ、お茶の間に人気がある。




〈プレム・ティンスラーノン〉
1920年、南部ソンクラー生まれ。1978—80年陸軍司令官、1980—88年首相。首相在任中に2度のクーデターを切り抜け、民政移管と経済成長への道筋をつけた。プミポン国王の信頼があつく、1988年の退任時に枢密顧問官に任命されるとともに、「ラタブルット(国家功労者)」の称号を受けた。1998年から枢密院議長。

〈タイ枢密院〉
タイ国王の諮問機関。枢密顧問官の多くは王族、退役軍人・官僚で、現議長はプレム・ティンスラーノン元首相・元陸軍司令官。暫定政府のスラユット首相(元陸軍司令官)は枢密顧問官から首相に転じた。



プレム議長(左)とスラユット首相
《newsclip》