RSS

赤シャツが封鎖の道路を軍が制圧 バンコクの非常事態宣言

2009年4月15日(水) 23時47分(タイ時間)
【タイ】4 月12日発令のバンコク首都圏一帯での非常事態宣言を受け、タクシン元首相支持派団体「独裁追放民主主義戦線(UDD)」(通称スーアデーン=赤シャツ) が封鎖していたディンデン三さ路(戦勝記念塔東側のディンデン通りとウィパワディー・ランシット通りが交わる地点)に、陸軍部隊が翌朝13日の朝4時ご ろ、威嚇(いかく)射撃で突入。UDDメンバーのデモ隊はディンデン通りの東側300メートルまで後退し、天然ガスのタンクローリーと路線バスで道路を再 び封鎖、軍が前進してくれば火を放つと脅し、事態はこう着していた。

半日続いたこう着状態 ディンデン三さ路を軍に制圧されたUDD メンバーの多くは、ディンデン通り北側の路地に逃げ込み、態勢を整えていた。路地からディンデン通りの衝突を見守る都民の多くがUDDメンバーで、「今朝 の武力行使で軍は多くの人間を殺したのに、テレビに全く出ない」と、軍、政府、地元メディアに対する怒りをあらわにしていた(政府発表では軍による制圧で の死者はなし)。 一方の南側では、通りに面して並ぶ公営住宅の住民が、「赤シャツの連中がタンクローリーに火をつけたら、住宅が吹っ飛ばされてしまう」と、数十メー トル先に陣取るUDDメンバーに対して投石していた。これに対するUDDメンバーの武器は、火炎ビンと催涙弾。散発的な衝突が繰り返されていた。 タンクローリーのそばから催涙弾を投げつけるUDDメンバー バンコクでは以前、ペチャブリ通りで転倒したタンクローリーが爆発、一帯に大火災を引き起こして多くの死者を出した。二昔も前の事故だが、当時を知 るタイ人は今でも口にする。UDDメンバーが出してきたタンクローリーを数百メートル先に見ながら、「あのときはローリーが3台だった。今回は1台だから (爆発しても)たいしたことないだろう。でもここでのんびりしていたら必ず死ぬ」と、50代のカメラマンが冗談交じりに話していた。 こう着状態に陥って10 時間が経とうとするころ、UDDメンバーがタンクローリーに何かを仕掛け、ガスのような白い気体をしばらく抜き、自ら数十メートル後退。軍やメディアは爆 発の準備と思い込み、やはり数十メートル後退する。しかし公営住宅の住民が、「中身のガスを抜いてこっちに走らせると言っている」と、UDDメンバーの伝 言を持ってきた。 軍が放水を決定。放水車がタンクローリーに突進し、一気に放水してタンクローリーと路線バスを水浸しに。その光景を見て爆発の心配が去ったと判断し た公営住宅の住民が、気勢を上げて飛び出す。退却するUDDメンバーを追いかけ、数百メートル後方に控える軍に対し、「赤シャツを追ってくれ!」と叫ぶ。 これを機に、兵士らが威嚇射撃しながら前進、制圧が始まった。 UDDメンバーが兵士に発砲 兵士らは300メートルほどを一気に走った後、列を正して弾倉を装てんし直すなど態勢を整えた後、歩きながら再び前進する。途中、逃げ遅れたUDDメンバーが住民らに袋叩きにあって倒れているのをほかの住民が助け、兵士が介護する場面が見られた。 負傷したUDDメンバーを介護する軍幹部 数百メートル前進してプラチャー・ソンクロ通りとの交差点に達したとき、兵士らはUDDメンバーから立て続けに発砲を受ける。タイは銃の所持が許される、いわゆる銃国家。さすがに携帯許可はほとんど出ないが、多くの国民が不法所持、不法携帯している。 兵士らは発砲を受け、わきに寄ったり物陰に隠れたりするなど、態勢が一瞬乱れるものの、空への威嚇を含めて百発程度を撃ち返す。周囲の閉鎖された市 場や建物に逃げ込むUDD メンバーを追う。屋台に飛び込もうとする1人の兵士の後を追っていくと、その兵士は何を思ったか、振り返って前を譲ろうとしてきた。「先に行ってくれ、後 からついていくから」と叫ぶと、勘違いに気付いてニヤリとし、屋台の中に入っていった。結局、路地に隠れたUDDメンバーをそれ以上追うことは出来なかっ た。 銃撃戦は十分ほど続いたが、死傷者は出なかった。 銃撃戦の発生を受け、ディンデン通りに待機していた装甲車が支援で駆けつけ、さらに前進。一部の兵士は、左右に伸びる道路の警戒で、交差点にとどまった。 UDD メンバーは数百メートル置きに、道路上で古タイヤを燃やして後退を続け、多くは途中で路地の中に姿を消していった。兵士らはその一つ一つを消火し、各路地 を警戒しながら進む。軍の前進で封鎖されていたディンデン通りが解放されると、周囲の住民が道路に出てきて、軍に声援を送る。その中の1人の女性が、「赤 シャツの連中、服を脱いでソンクランの粉(水掛け祭りでは顔に粉を塗って楽しむ)を塗って、逃げ込んできた」と話しかけてきた。 発砲に応戦する兵士ら ラチャダーピセーク通りの交差点に近づくころになると、服を着替えたUDDメンバーやタクシン支持の住民が増えてきて、住民の声援が非難に変わって くる。兵士がラチャダーピセーク通りとの交差点に達するときには、道路わきの住民はさらに興奮して、罵(ば)声を飛ばしていた。 ウィパワディー・ランシット通りとディンデン通りを制圧したことにより、軍は地方からバンコク都内に入って首相府につながるルートをしゃ断。軍用バ スが来て撤退となった。周辺住民の罵声はメディアにも襲い掛かってきたことから、兵士らはメディアに一緒にバスに乗るように指示、ディンデン三さ路まで 戻った。 同日はバンコク都内の数カ所で同様の制圧が行われ、UDDメンバーは道路封鎖を放棄している。 装甲車でディンデン通りを前進
《newsclip》


新着PR情報