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反タクシンのソンティ氏、銃撃受け九死に一生 

2009年4月17日(金) 09時55分(タイ時間)
【タイ】タイのテレビ報道によると、17日朝、反タクシン元首相派団体「民主主義のための市民同盟(PAD)」の創設者で実業家のソンティ・リムトーンクン氏が乗った車がバンコク都内で銃撃され、ソンティ氏と運転手が重傷を負ったほか、ソンティ氏の秘書が軽いけがをした。反タクシン派の最も知られた顔であるソンティ氏が襲撃されたことで、タクシン派と反タクシン派の間で緊張が高まっている。

 ソンティ氏の車はサムセン通りを走行中にピックアップトラックから銃撃を受け、タイヤを撃たれ停車した後、さらに数十発発砲された。ソンティ氏は銃弾の破片とみられる鉄片が頭に刺さり、緊急手術を受けた。意識ははっきりしていて、数日後には退院できる見通しという。

 ソンティ氏が襲われた手口はタイの殺し屋がよく使う方法で、警察はプロの犯行と見て捜査を進める方針。

 PADは2005—2007年に反タクシンの街頭デモを繰り返し、昨年にはタイ首相府やスワンナプーム空港などを占拠した。支持者は発砲・暴行・殺人事 件を引き起こしているが、ソンティ氏らPAD幹部を訴追する動きは遅く、「ダブルスタンダード」としてタクシン派の不満のひとつとなっている。

〈ソンティ・リムトーンクン〉
 1947年生まれ。中国名は林明達。父親は中国・潮州から移民した元中国国民党員で、タイでは中国語の本の印刷事業などを手がけた。

 ソンティ氏はタイのアサンプション大学(ABAC)付属校シラチャー校を卒業後、台湾で中国語を勉強、後に米国の大学に留学した。1973年に帰国し、 新聞編集者、雑誌発行などを経て、1983年にタイ字紙プージャッカーンを創刊。同紙をタイ字経済紙のトップに育て上げ、1990年に発行元のマネジャー・メディア・グループ(MGR)をタイ証券取引所(SET)に上場した。また、エンジニアリング、携帯電話販売のインターナショナル・エンジニアリ ング (IEC)を買収し、未公開株の17.5%をタクシン・チナワット氏に譲渡、1992年に同社もSETに上場した。タクシン氏は10バーツで買った IEC株を上場後、250バーツで全株売却し、6億—7億バーツの利益を得たとされる。

 MGRはさらに、通信衛星(ラオスター)、携帯電話サービス(WCS、現トゥルー・ムーブ)、英字紙(アジア・タイムズ)へと事業展開を図ったが、 1997年のアジア経済危機で経営が破たんし、経営再建を図ったものの、2008年11月に破産宣告を受けた。以降、MGRの新聞、雑誌はソンティ氏らが 経営する反タクシン派ケーブルテレビ局傘下に収まり、「ASTV」ブランドで発行を続けている。

 ソンティ氏とタクシン政権は同政権のソムキッド元副首相兼商務相が1990年代にプージャッカーンにコラムを連載していたほか、タクシン元首相の最大の ブレーンであるパンサック元首相顧問がアジア・タイムズの編集長を務めるなど、人脈面でつながりが深い。元首相の旧友であるタノン元財務相は、ABACシ ラチャー校でソンティ氏と同級生だった。こうした関係からか、MGRは2001年の下院総選挙で全社を挙げてタクシン派政党を支持。タクシン政権が発足すると、MGRの関係会社社長だったカノ ク・アピラディー氏がタイ国際航空の社長、ソンティ氏と親しい銀行家のウィロート・ヌアンケー氏が国営クルンタイ銀行(KTB)の社長になった。 KTBはウィロート社長の下、MGRに対する債権16億バーツを放棄した。

 しかし2004年にウィロート社長、2005年にカノク社長が解任されると、ソンティ氏は強硬な反タクシン派に転じ、自らがホスト役を務める国営テレビ 局チャンネル9の人気トーク番組で、政権の汚職、権力乱用を激しく批判。2005年9月に同番組が打ち切られると、ルムピニ公園での野外トークショーとして継続し、ネットやケーブルテレビを通じ配信を続けた。活動を強化するため結成した反タクシン派団体「民主主義のための市民同盟」にジャムロン元バンコク 都知事らが合流し、バンコク都内で大規模な抗議集会を連続開催し、 2006年9月の軍事クーデターを呼び込んだ。

 2007年末に行われた民政移管のための総選挙でタクシン派が勝利、政権に復帰したことを受け、 PADは2008年5月に活動を再開。タイ首相府を長期間占拠したほか、10月に国会議事堂を封鎖し警官隊と衝突。12月にはバンコクにはスワンナプーム 空港とドンムアン空港を占拠し、タクシン派政権を窮地に追い込んだ。空港占拠中にタクシン派与党が裁判所により解党され、野党民主党を中心とする政権が発 足したため、現在は活動を休止している。
《newsclip》


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