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反タクシン派が政党設立、PAD党

2009年5月15日(金) 01時42分(タイ時間)
【タイ】反タクシン元首相派団体「民主主義のための市民同盟(PAD)」が4月24日に政党登記を申請したことが明らかになった。申請中の党名は「民主主義のための市民同盟党」で、党首、幹事長らの名前は明らかになっていない。問題がなければ5月23日までに登記が完了する。

 PADは2005年の設立以来、バンコクでの街頭デモや、タイ首相府、スワンナプーム空港などの占拠でタイの政情を揺さぶってきた。タイ王室の支持を受けていると主張し、シンボルカラーはプミポン国王の誕生日の色である黄色。昨年末にタクシン派与党が選挙違反で解党され、政権が野党のタイ民主党に移ったことから、現在は活動を停止している。

 PADがこの時期に政党設立に踏み切った背景には、反タクシン派の分裂という事情がありそうだ。特権階級、軍、民主党、PADといった反タクシン派はタクシン派政権追放までは歩調をそろえたが、PADはメンバーのカシット氏を外相として民主党政権に送り込んだ程度で、反タクシンの前線で働いたにもかかわらず、ほうびらしいほうびを受け取っていない。

 4月半ばには、PADの創設者である実業家のソンティ氏がバンコク都内を車で移動中に数台の車からライフル銃を乱射され、頭にけがをした。ソンティ氏は事件後、実行犯は兵士だったと主張。シリキット王妃が後援する軍人・警官・国境自警団員慰安財団事務局長のタンプーイン(高位女性の称号)・ウィラヤー・チャワクン氏、プラウィット国防相(元陸軍司令官)、アヌポン陸軍司令官の名前を挙げ、「3人が今回の暗殺未遂に関与したとは個人的には信じていないが、万が一そうだとしても、恐れていない」と、微妙な発言を行っている。ウィラヤー氏はソンティ氏の発言について、「真実ではないので気にしていない」とコメントした。

 民主党政権での処遇、ソンティ氏の暗殺未遂事件などから、タイのメディアでは、政争が一段落したことで、反タクシン勢力の傭兵部隊であるPADが役割を終えたという見方も出ている。そもそも、タクシン氏の熱烈な支持者だったソンティ氏がなぜああまで激しい反タクシン運動を繰り広げたのか? 数千人のデモ参加者に数カ月に渡り食事や医薬品、ヘルメットなどを無料で提供したPADの資金源は何か? 首相府や空港の不法占拠、発砲、暴行、殺人などの事件を引き起こしたにもかかわらずPAD幹部が自由の身でいられるのはなぜか? 反タクシン派の中枢にとって、知り過ぎた男ソンティ氏とPADは、どちらも不要な存在となっているのかもしれない。

 一方、PAD幹部は昨年の反政府集会で連日数千人から歓声を浴び、メディアの取材を受け、ロックスターのような扱いを受けて来た。しかし政権交代後はほとんど出番がなく、現状に不満を募らせたとしても不思議はない。ただ、民主党政権下でデモを行うわけにも行かず、表舞台復帰のため、政党設立に動いたもようだ。PADの主要メンバーであるジャムロン元バンコク都知事は1980年代に政党を設立、バンコクを地盤とする中規模政党に育て、中央政界で副首相などを務めた。PAD党もバンコク首都圏の王党派を中心にある程度の支持を集める見通しだ。ただ、民主党、タクシン派政党と政権を争う規模に成長する可能性は低く、逆に、政党となることで活動の自由を失い、影響力が低下するという見方もある。
《newsclip》


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