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タイ東北補選でタクシン派圧勝

2009年6月22日(月) 10時35分(タイ時間)
【タイ】タイ最大の票田である東北部のすう勢を占うとして注目を集めたサコンナコン県3区の下院補選が21日、投開票され、タクシン元首相派の野党プアタイ公認のアヌラック候補がタクシン派から離反した連立与党プームジャイタイのピタック候補の倍近く得票し、圧勝した。タクシン氏は地盤を守り切り、当面は自派崩壊を防いだ形だが、自身が汚職で実刑判決を受け国外逃亡中のため反撃の手立てが限られ、今後も守勢が続きそうだ。

 得票数はアヌラック候補8万3348票、ピタック候補4万7235票。投票率は58%だった。

 今回の補選はアヌラック候補の夫でプアタイ所属のポンサック前下院議員が選挙違反で失職したことにともなうもので、プームジャイタイが勝てば、東北部のプアタイの議員、派閥がプームジャイタイへ大量移籍する可能性があるとみられていた。事態の重要性を認識したタクシン氏は自分の弟妹やプアタイ幹部で演説上手として知られるチャルーム元内相を選挙区入りさせたほか、選挙区の有力者に自ら国際電話をかけるなど総力戦を展開。プームジャイタイは党首のチャワラット内相ら現役閣僚が足しげく遊説に訪れ、選挙区に泊まり込むなどしたが、タクシン派の牙城を崩せなかった。

 タクシン氏は首相在任中(2001—2006年)、地方住民や貧困層の生活レベル改善に取り組み、1回一律30バーツの格安医療制度や1村100万バーツの村落基金、タイ版の1村1産品プログラムなどを導入した。タイの最貧地方である東北部の住民はこうした政策を多として、過去3回の総選挙でいずれもタクシン派を圧倒的に支持した。しかし、タクシン派はクーデターや司法判断で政権を追われ、影響力が低下。タクシン氏の元側近でプームジャイタイを率いるネーウィン元首相府相はこうした状況の中、東北部でプアタイの下院議員引き抜き、地盤の切り崩しを図っている。

〈タクシン・チナワット〉
1949年、北部チェンマイ生まれの客家系華人。中国名は丘達新。警察士官学校を卒業後、米国に国費留学し、刑法学博士号を取得。帰国後、警察に勤務するかたわら、官公庁へのコンピュータ・リース、不動産開発などを手がけ、1987年に警察中佐で退職。その後、携帯電話サービス、通信衛星などを展開するタイ通信最大手シン・グループを育て上げた。1995年に政界に転じ、1998年にタイラックタイ(タイ人はタイ人を愛する)党を創設。地方、貧困層へのバラマキ政策を掲げ2001年の総選挙で大勝し首相。2005年2月の総選挙も圧勝、首相に再選されたが、伝統権力層との対立から、2006年9月の軍事クーデターで失脚し、公職追放処分を受けた。2007年末の総選挙でタクシン派が勝利したため、2008年2月に帰国。 8月に出国し、不在中の10月に国有地購入をめぐる権力乱用で禁固2年の実刑判決を受けた。タクシン派与党は選挙違反で12月に解党され、これに伴い、タクシン派政権からネーウィン元首相府相派と中小連立4党が民主党に寝返り、民主党連立政権が誕生した。チナワット家のタイ国内の資産約760億バーツは凍結され、裁判で没収される可能性が浮上している。



〈ネーウィン・チッチョープ〉
1958年生まれ。タイ国立ラーチャパット大学ブリラム校卒。1986年以来、下院に連続当選。ただし所属政党はほぼ毎回異なる。1995年副財務相、1997年副農業・協同組合相、2002年副商務相(第1次タクシン政権)、2005年の総選挙前にチャートタイ党からタクシン派タイラックタイ党(TRT)に移籍し、2005年首相府相。2006年のクーデターでTRTが解党され、5年間の参政権停止処分を受けた。スキャンダルが絶えない一方、豪腕型で実行力があるという評価も。父は東北部ブリラム県を中心に採石場などのビジネスを手がける実業家・政治家のチャイ氏 (現下院議長)。ネーウィン氏の名前はミャンマーの元独裁者ネ・ウィンを尊敬するチャイ氏が付けた。
《newsclip》


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