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タイ警察長官が「休職」、反タクシン派幹部銃撃事件で捜査妨害?

2009年8月4日(火) 18時55分(タイ時間)
【タイ】アピシット首相は4日、パチャラワート警察長官が8月14日まで休職し、ウィチアン副長官が職務を代行することを明らかにした。パチャラワート警察長官は反タクシン元首相派団体「民主主義のための市民同盟(PAD)」の創設者で実業家のソンティ・リムトーンクン氏が4月17日にバンコク都内で銃撃を受け負傷した事件で捜査の障害になっているとされ、首相が休職させる意向を示していた。

 ソンティ氏は乗用車でバンコク都内を移動中、数台のピックアップトラックから数十発発砲されたが、軽傷で生き延びた。銃弾はタイ陸軍第1管区のもので、襲撃に使用されたとみられるピックアップトラックが第1管区の基地(中部ロッブリ県)でみつかっている。警察はこの事件で兵士1人と警官1人を指名手配した。捜査線上には陸軍士官や法務省特捜局員らが浮上しているとされる。

 ソンティ氏は事件後、実行犯グループが兵士、警官だったと主張。シリキット王妃が後援する軍人・警官・国境自警団員慰安財団事務局長のタンプーイン(高位女性の称号)・ウィラヤー・チャワクン氏、パチャラワート長官の兄のプラウィット国防相(元陸軍司令官)、アヌポン陸軍司令官の名前を挙げ、「3人が今回の暗殺未遂に関与したとは個人的には信じていないが、万が一そうだとしても、恐れていない」と述べた。ウィラヤー氏はソンティ氏の発言について、「真実ではないので気にしていない」とコメントしている。ソンティ氏はまた、最近になり、襲撃の首謀者は国外にいると話した。

 ソンティ氏が名前を上げた3人のうち、アヌポン司令官はタクシン政権を追放した2006年のクーデターに参画した。ウィラヤー氏は国外逃亡中のタクシン元首相と親しい。プラウィット国防相は昨年末にタクシン派から民主党に寝返り民主党連立政権を発足させたネーウィン元首相府相派と近いとされる。

〈ソンティ・リムトーンクン氏とPAD〉
 ソンティ氏は1947年生まれ。中国名は林明達。父親は中国・潮州から移民した元中国国民党員で、タイで中国語の本の印刷事業などを手がけた。
 タイのアサンプション大学(ABAC)付属校シラチャー校を卒業後、台湾で中国語を勉強、後に米国の大学に留学した。1973年に帰国し、新聞編集者、雑誌発行などを経て、1983年にタイ字紙プージャッカーンを創刊。同紙をタイ字経済紙のトップに育て上げ、1990年に発行元のマネジャー・メディア・グループ(MGR)をタイ証券取引所(SET)に上場した。また、エンジニアリング、携帯電話販売のインターナショナル・エンジニアリング(IEC)を買収し、未公開株の17・5%をタクシン・チナワット氏に譲渡、1992年に同社もSETに上場した。タクシン氏は10バーツで買ったIEC株を上場後、250バーツで全株売却し、6億—7億バーツの利益を得たとされる。
 MGRはさらに、通信衛星、携帯電話サービス、英字紙(アジアタイムズ)へと事業展開を図ったが、1997年のアジア経済危機で経営破たんし、経営再建を図ったものの、2008年11月に破産宣告を受けた。以降、MGRの新聞、雑誌はソンティ氏らが経営する反タクシン派ケーブルテレビ局傘下に収まり、「ASTV」ブランドで発行を続けている。
 ソンティ氏とタクシン政権は同政権で副首相、財務相、商務相などを務めたソムキッド氏が1990年代にプージャッカーンにコラムを連載していたほか、タクシン元首相の有力ブレーンであるパンサック元首相顧問がアジアタイムズの編集長を務めるなど、人脈面でつながりが深い。元首相の旧友であるタノン元財務相はABACシラチャー校でソンティ氏と同級生だった。
 こうした関係からか、MGRは2001年の下院総選挙で全社を挙げてタクシン派政党を支持。タクシン政権が発足すると、MGRの関係会社社長だったカノク・アピラディー氏がタイ国際航空の社長、ソンティ氏と親しい銀行家のウィロート・ヌアンケー氏が国営クルンタイ銀行(KTB)の社長になった。KTBはウィロート社長の下、MGRに対する債権16億バーツを放棄した。
 しかし2004年にウィロート社長、2005年にカノク社長が解任されると、ソンティ氏は強硬な反タクシン派に転じ、自らがホスト役を務める国営テレビ局チャンネル9の人気トーク番組で、政権の汚職、権力乱用を激しく批判。2005年9月に同番組が打ち切られると、バンコク都内のルムピニ公園での野外トークショーとして継続し、ネットやケーブルテレビを通じ配信を続けた。活動を強化するため結成した反タクシン派団体「民主主義のための市民同盟(PAD)」にジャムロン元バンコク都知事らが合流、バンコク都内で大規模な抗議集会を連続開催し、 2006年9月の軍事クーデターを呼び込んだ。
 2007年末に行われた民政移管のための総選挙でタクシン派が勝利、政権に復帰したことを受け、 PADは2008年5月に活動を再開。2008年8月から年末まで首相官邸にあたるタイ首相府を数千人で占拠したほか、11月下旬からはバンコクの2空港も占拠し、タイの空路交通を遮断した。空港占拠中に憲法裁判所がタクシン派与党を解党、政権が野党民主党に移ったことから活動を停止したが、今年6月に「新政治党」を政党登録し、表舞台への復帰に動き始めている。
 PADはタイ王室の支持を受けていると主張し、シンボルカラーはプミポン国王の誕生日の色である黄色。昨年10月にPADのデモ隊が国会議事堂周辺で警官隊と衝突し、メンバーの女性が死亡した際には、シリキット王妃が葬儀を主宰した。
《newsclip》


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