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タクシン派、タイ国王秘書に恩赦願い提出

2009年8月17日(月) 13時40分(タイ時間)
【タイ】タイのテレビ報道によると、タクシン元首相支持派の数千人が17日、バンコクの王宮前広場から王宮に行進し、タクシン氏の恩赦を求める約500万人分の署名をプミポン国王の秘書に手渡した。懸念された治安当局、反タクシン派との衝突はなかった。

 タクシン氏は王宮前広場の集会にビデオメッセージを送り、自分が有罪となった土地取引をめぐる汚職について、「土地の売り手も買い手(元妻のポジャマン氏)も無罪で、私だけ有罪とはおかしな話だ」として、軍事政権が設けた法廷による不当裁判だと主張した。一方、「国家の分断を回避し、国王陛下の下に団結しよう」と呼びかけ、王室への忠誠を誓った。

 タクシン氏は通信事業でタイ屈指の富豪となった後、政党を設立し、2001年、2005年の2度の総選挙で歴史的大勝を収め、2001—2006年に首相を務めた。低額の医療制度、村落基金といった地方、貧困層向けの政策、強い指導力で高支持率を誇ったが、2006年の軍事クーデターで政権から追放された。国外滞在中の昨年10月、首相在職中に当時の妻が国有地を購入したことが汚職とされ懲役2年の実刑判決を受け、以来帰国していない。

 タイの一部メディアは今回の恩赦請願について、恩赦が認められる可能性は極めて低く、タクシン派が王室に圧力をかけることを狙った政治ゲームという見方を示している。タクシン氏をめぐっては、王室廃止、大統領制導入を図り、これが2006年のクーデターを招いたとする見方もある。

〈タクシン・チナワット〉
1949年、北部チェンマイ生まれの客家系華人。中国名は丘達新。警察士官学校を卒業後、米国に国費留学し、刑法学博士号を取得。帰国後、警察に勤務するかたわら、官公庁へのコンピュータ・リース、不動産開発などを手がけ、1987年に警察中佐で退職。その後、携帯電話サービス、通信衛星などを展開するタイ通信最大手シン・グループを育て上げた。1995年に政界に転じ、1998年にタイラックタイ(タイ人はタイ人を愛する)党を創設。地方、貧困層へのバラマキ政策を掲げ2001年の総選挙で大勝し首相。 2005年2月の総選挙も圧勝、首相に再選されたが、伝統権力層との対立から、2006年9月の軍事クーデターで失脚し、公職追放処分を受けた。2007 年末の総選挙でタクシン派が勝利したため、2008年2月に帰国。 8月に出国し、不在中の10月に国有地購入をめぐる権力乱用で禁固2年の実刑判決を受けた。タクシン派与党は選挙違反で12月に解党され、これに伴い、タクシン派政権からネーウィン元首相府相派と中小連立4党が民主党に寝返り、民主党連立政権が誕生した。チナワット家のタイ国内の資産約760億バーツは凍結され、裁判で没収される可能性が浮上している。
《newsclip》


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