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反タクシン派幹部に実刑、名誉棄損で懲役2年

2009年9月10日(木) 17時31分(タイ時間)
【タイ】2007年の軍事暫定政権で副首相兼財務相を務めたプリディヤトン・デワクン氏が虚偽の内容の発言で名誉を傷つけられたとして反タクシン元首相派団体「民主主義のための市民同盟(PAD)」の創設者ソンティ・リムトーンクン氏らを名誉棄損で訴えていた裁判で、タイ刑事裁判所は10日、発言内容を裏付ける証拠がないとして、ソンティ氏に懲役2年の実刑判決を言い渡した。ソンティ氏は控訴する方針で、同日、保釈された。ソンティ氏は2007年1月に放送されたテレビ番組で、プリディヤトン氏がタクシン氏に近い財務官僚をかばったなどと発言していた。

〈ソンティ・リムトーンクンとPAD〉
 ソンティ氏は1947年生まれ。中国名は林明達。父親は中国・潮州から移民した元中国国民党員で、タイで中国語の本の印刷事業などを手がけた。
 タイのアサンプション大学(ABAC)付属校シラチャー校を卒業後、台湾で中国語を勉強、後に米国の大学に留学した。1973年に帰国し、新聞編集者、雑誌発行などを経て、1983年にタイ字紙プージャッカーンを創刊。同紙をタイ字経済紙のトップに育て上げ、1990年に発行元のマネジャー・メディア・グループ(MGR)をタイ証券取引所(SET)に上場した。また、エンジニアリング、携帯電話販売のインターナショナル・エンジニアリング(IEC)を買収し、未公開株の17・5%をタクシン・チナワット氏に譲渡、1992年に同社もSETに上場した。タクシン氏は10バーツで買ったIEC株を上場後、250バーツで全株売却し、6億—7億バーツの利益を得たとされる。
 MGRはさらに、通信衛星、携帯電話サービス、英字紙(アジアタイムズ)へと事業展開を図ったが、1997年のアジア経済危機で経営破たんし、経営再建を図ったものの、2008年11月に破産宣告を受けた。以降、MGRの新聞、雑誌はソンティ氏らが経営する反タクシン派ケーブルテレビ局傘下に収まり、「ASTV」ブランドで発行を続けている。
 ソンティ氏とタクシン政権は同政権で副首相、財務相、商務相などを務めたソムキッド氏が1990年代にプージャッカーンにコラムを連載していたほか、タクシン元首相の有力ブレーンであるパンサック元首相顧問がアジアタイムズの編集長を務めるなど、人脈面でつながりが深い。元首相の旧友であるタノン元財務相はABACシラチャー校でソンティ氏と同級生だった。
 こうした関係からか、MGRは2001年の下院総選挙で全社を挙げてタクシン派政党を支持。タクシン政権が発足すると、MGRの関係会社社長だったカノク・アピラディー氏がタイ国際航空の社長、ソンティ氏と親しい銀行家のウィロート・ヌアンケー氏が国営クルンタイ銀行(KTB)の社長になった。KTBはウィロート社長の下、MGRに対する債権16億バーツを放棄した。
 しかし2004年にウィロート社長、2005年にカノク社長が解任されると、ソンティ氏は強硬な反タクシン派に転じ、自らがホスト役を務める国営テレビ局チャンネル9の人気トーク番組で、政権の汚職、権力乱用を激しく批判。2005年9月に同番組が打ち切られると、バンコク都内のルムピニ公園での野外トークショーとして継続し、ネットやケーブルテレビを通じ配信を続けた。活動を強化するため結成した反タクシン派団体「民主主義のための市民同盟(PAD)」にジャムロン元バンコク都知事らが合流、バンコク都内で大規模な抗議集会を連続開催し、 2006年9月の軍事クーデターを呼び込んだ。
 2007年末に行われた民政移管のための総選挙でタクシン派が勝利、政権に復帰したことを受け、PADは2008年5月に活動を再開。2008年8月から年末まで首相官邸にあたるタイ首相府を数千人で占拠したほか、11月下旬からはバンコクの2空港も占拠し、タイの空路交通を遮断した。空港占拠中に憲法裁判所がタクシン派与党を解党、政権が野党民主党に移ったことから活動を停止したが、今年6月に「新政治党」を政党登録し、表舞台への復帰に動き始めている。
 PADはタイ王室の支持を受けていると主張し、シンボルカラーはプミポン国王の誕生日の色である黄色。昨年10月にPADのデモ隊が国会議事堂周辺で警官隊と衝突し、メンバーの女性が死亡した際には、シリキット王妃が葬儀を主宰した。
《newsclip》


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