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タイ空港占拠の反タクシン派指導者、新党党首に

2009年10月6日(火) 19時14分(タイ時間)
【タイ】反タクシン元首相派団体「民主主義のための市民同盟(PAD)」が6月に設立した政党「新政治党」は6日、党大会を開き、暫定党首に代わる正式な党首にPAD創設者で実業家のソンティ・リムトーンクン氏(62)を選出した。PADはデモ隊によるスワンナプーム空港やタイ首相府の占拠などでタイの政局を大きく揺るがしてきたが、政党となることで法治・民主主義の枠組み内に入るとみられ、与野党はともに歓迎の意向を示している。ただ、ソンティ氏に次ぐPADの看板であるジャムロン元バンコク都知事は新政治党に参加しておらず、状況次第ではジャムロン氏がPADを動員し街頭デモに打って出るという選択肢を残したもようだ。

〈ソンティ・リムトーンクン氏とPAD〉

□中国国民党員の息子

 ソンティ氏の父親は中国・潮州からタイに移民した元中国国民党員で、バンコクの中華街で中国語の本の印刷事業などを手がけた。ソンティ氏は1947年生まれ。中国名は林明達。タイのアサンプション大学(ABAC)付属校シラチャー校を卒業後、台湾で中国語を勉強、後に米国の大学に留学した。1973年に帰国し、新聞編集者、雑誌発行などを経て、1983年にタイ字紙プージャッカーンを創刊。同紙をタイ字経済紙のトップに育て上げ、1990年に発行元のマネジャー・メディア・グループ(MGR)をタイ証券取引所(SET)に上場した。また、エンジニアリング、携帯電話販売のインターナショナル・エンジニアリング(IEC)を買収し、未公開株の17・5%をタクシン・チナワット氏に譲渡、1992年に同社もSETに上場した。タクシン氏は10バーツで買ったIEC株を上場後、250バーツで全株売却し、6億—7億バーツの利益を得たとされる。

□タクシン氏と持ちつ持たれつ

 MGRはさらに、通信衛星、携帯電話サービス、英字紙(アジアタイムズ)へと事業展開を図ったが、1997年のアジア経済危機で経営破たんし、経営再建を図ったものの、2008年11月に破産宣告を受けた。以降、MGRの新聞、雑誌はソンティ氏らが経営する反タクシン派ケーブルテレビ局傘下に収まり、「ASTV」ブランドで発行を続けている。
 ソンティ氏とタクシン政権は同政権で副首相、財務相、商務相などを務めたソムキッド氏が1990年代にプージャッカーンにコラムを連載していたほか、タクシン元首相の有力ブレーンであるパンサック元首相顧問がアジアタイムズの編集長を務めるなど、人脈面でつながりが深い。元首相の旧友であるタノン元財務相はABACシラチャー校でソンティ氏と同級生だった。
 こうした関係からか、MGRは2001年の下院総選挙で全社を挙げてタクシン派政党を支持。タクシン政権が発足すると、MGRの関係会社社長だったカノク・アピラディー氏がタイ国際航空の社長、ソンティ氏と親しい銀行家のウィロート・ヌアンケー氏が国営クルンタイ銀行(KTB)の社長になった。KTBはウィロート社長の下、MGRに対する債権16億バーツを放棄した。

□タクシン政権追放の急先鋒に

 しかし2004年にウィロート社長、2005年にカノク社長が解任されると、ソンティ氏は強硬な反タクシン派に転じ、自らがホスト役を務める国営テレビ局チャンネル9の人気トーク番組で、政権の汚職、権力乱用を激しく批判。2005年9月に同番組が打ち切られると、バンコク都内のルムピニ公園での野外トークショーとして継続し、ネットやケーブルテレビを通じ配信を続けた。活動を強化するため結成した反タクシン派団体「民主主義のための市民同盟(PAD)」にジャムロン元バンコク都知事らが合流、バンコク都内で大規模な抗議集会を連続開催し、 2006年9月の軍事クーデターを呼び込んだ。
 2007年末に行われた民政移管のための総選挙でタクシン派が勝利、政権に復帰したことを受け、PADは2008年5月に活動を再開。2008年8月から年末まで首相官邸にあたるタイ首相府を数千人で占拠したほか、11月下旬からはバンコクの2空港も占拠し、タイの空路交通を遮断した。空港占拠中に憲法裁判所がタクシン派与党を解党、政権が野党民主党に移ったことから活動を停止したが、今年6月に「新政治党」を政党登録し、表舞台への復帰に動き始めている。

□PADの実態は?

 PADはタクシン氏の権力拡大を危ぐした伝統的な権力層と、同氏に私怨を抱くソンティ氏ら実業家が組み、王党派の市民、民営化を嫌う国営企業労組など、タクシン氏に反発する勢力を糾合したとみられる。政党政治や完全な民主主義に批判的で、任命制国会議員の増員などを提案したが、これは組織の背後にいる伝統的な権力層の意向を反映したものとみられる。タイ王室の支持を受けていると主張し、シンボルカラーはプミポン国王の誕生日の色である黄色。昨年10月にPADのデモ隊が国会議事堂周辺で警官隊と衝突し、メンバーの女性が死亡した際には、シリキット王妃が葬儀を主宰した。ソンティ氏らPAD幹部は首相府や空港の占拠などで取り調べを受けているが、訴追の動きは鈍い。

□ソンティ氏暗殺未遂

 ソンティ氏は今年4月、乗用車でバンコク都内を移動中、数台のピックアップトラックから発砲され、銃弾の破片が頭に刺さりけがをした。銃弾はタイ陸軍のもので、襲撃に使用されたとみられるピックアップトラックが中部ロッブリ県の陸軍基地でみつかっている。この事件でソンティ氏はシリキット王妃が後援する軍人・警官・国境自警団員慰安財団事務局長のタンプーイン(高位女性の称号)・ウィラヤー・チャワクン氏、プラウィット国防相(元陸軍司令官)、アヌポン陸軍司令官の名前を挙げ、「3人が今回の暗殺未遂に関与したとは個人的には信じていないが、万が一そうだとしても、恐れていない」と述べた。ウィラヤー氏はソンティ氏の発言について、「真実ではないので気にしていない」とコメントしている。
《newsclip》


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