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タイ、カンボジアが大使召還 タクシン氏の顧問就任で

2009年11月6日(金) 10時20分(タイ時間)
【カンボジア、タイ】昨年汚職で実刑判決を受け国外逃亡中のタクシン元タイ首相(60)がカンボジア政府の経済顧問に任命され、これに抗議したタイ政府が5日、駐カンボジア大使を召還した。これを受け、カンボジアも駐タイ大使の召還を表明し、国境紛争で死者を出した両国は今度は外交紛争に突入した。

 カンボジア政府は4日に発表した声明で、タクシン氏が政府の経済顧問とフン・セン首相の顧問に就任したことを明らかにし、「友人は困難な時に助け合うものだ」「タクシン氏への有罪判決は政治的なもの」として、タクシン氏がカンボジアに入国しても、タイ政府からの身柄引き渡し要求に応じない方針を明確にした。

 これに対しタイのアピシット首相は「我々の司法への干渉であり、内政干渉だ」と反発。大使の召還に加え、経済援助の凍結を示唆した。

 タクシン氏はミニブログのツイッターを通じ、「フン・センさんに感謝する。今、カンボジア国王の署名がある任命状のコピーが届いた」「タイ政府が大使を召還するとか。子供だな、騒ぎすぎ」などとコメントした。タクシン氏の法律顧問であるノパドン元タイ外相によると、タクシン氏は今のところカンボジアに行く予定はないという。

 タクシン氏とフン・セン首相はタクシン氏が実業家だったころからの知り合いで、度々ゴルフを一緒に楽しむ間柄だ。こうした関係からか、2007年末に発足したタクシン派サマック政権はカンボジアに融和的で、タイ、カンボジアの国境近くにあるクメール遺跡プレアビヒアのカンボジアによる世界遺産申請を支持した。しかし、プレアビヒアや周辺の土地の領有権を主張する反タクシンの保守派勢力の猛反発を受けた上、タイ憲法裁判所にカンボジアとの合意を違憲とされ、撤回。カンボジアはタイの支持を得ないままプレアビヒアを世界遺産に申請し、昨年7月、登録された。これをきっかけに昨年10月と今年4月、プレアビヒア周辺で両国軍が交戦し、双方の兵士数人が死亡した。タクシン派政権は昨年12月、保守派のデモ隊にバンコクの2空港を占拠された上、憲法裁に与党が解党され崩壊。その後成立した反タクシン派のアピシット政権はフン・セン首相を「やくざ」呼ばわりしたカシット元駐米大使を外相に起用し、両国関係はギクシャクしている。

 フン・セン首相は今年10月、プノンペンを訪れたタイのチャワリット元首相(元陸軍司令官)と会談した際に、「タクシン氏は国のためにあれだけ仕事をしたのに、不公平な扱いを受けている」と同情し、変わらぬ友情の証しとして、プノンペンにタクシン氏の家を建てたことを伝えた。同月下旬に東南アジア諸国連合(ASEAN)関連の首脳会議出席のためタイを訪れた際には、「タクシン氏を経済顧問に起用したい」「タクシン氏は政治犯であり、カンボジアを訪れても、タイからの身柄引き渡し要求には応じない」などと発言し、タイ側の反発を招いていた。

〈タクシン・チナワット〉
1949年、タイ北部チェンマイ生まれの客家系華人。中国名は丘達新。警察士官学校を卒業後、米国に国費留学し、刑法学博士号を取得。帰国後、警察に勤務するかたわら、官公庁へのコンピュータ・リース、不動産開発などを手がけ、1987年に警察中佐で退職。その後、携帯電話サービス、通信衛星などを展開するタイ通信最大手シン・グループを育て上げた。1995年に政界に転じ、1998年にタイラックタイ(タイ人はタイ人を愛する)党を創設。地方、貧困層へのバラマキ政策を掲げ2001年の総選挙で大勝し首相。 2005年2月の総選挙も圧勝、首相に再選されたが、保守派との対立から、2006年9月の軍事クーデターで失脚し、公職追放処分を受けた。2007年末の総選挙でタクシン派が勝利したため、2008年2月に帰国。 8月に出国し、不在中の10月、首相在任中に妻が国有地を競売で購入したことで禁固2年の実刑判決を受けた。その後はタイに帰国せず、主にドバイに滞在している。タクシン派与党は2008年12月に選挙違反で解党され、これに伴い、タクシン派政権からネーウィン元首相府相派と中小連立4党が野党・民主党に寝返り、民主党連立政権が誕生した。チナワット家のタイ国内の資産約760億バーツは凍結され、裁判で没収される可能性が浮上している。
《newsclip》


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