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タクシン元首相、カンボジア入り タイの反発必至

2009年11月10日(火) 15時51分(タイ時間)
【カンボジア、タイ】カンボジア政府の経済顧問に就任したタイのタクシン元首相が10日、プライベートジェット機でプノンペンに到着した。12日に市内でカンボジアの官僚らに講演する予定。タクシン氏は昨年、タイで汚職で懲役2年の実刑判決を受け国外逃亡中だが、カンボジアは「タクシン氏は政治の犠牲者」という立場で、タイ政府の身柄引き渡し要求に応じない方針だ。

 反タクシン派の民主党を中心とするタイ政府はタクシン氏がカンボジア政府の顧問に就任したことに抗議し、5日に駐カンボジア大使を召還。10日の閣議で、タイ、カンボジアの双方が領有権を主張する重複海域の共同開発をうたった覚書の破棄も決めた。重複海域は2万6000平方キロで、天然ガスなどの埋蔵が期待されている。カンボジアもタイ政府の措置に対抗し、駐タイ大使を召還した。

 タイとカンボジアが加盟する東南アジア諸国連合(ASEAN)は11月半ばにシンガポールでアジア太平洋経済協力会議(APEC)首脳会議、米国・ASEAN首脳会議を開催する予定で、タクシン氏とカンボジアのフン・セン首相は世界の注目が集まる時機を狙って、タイの反タクシン派政権に揺さぶりをかけたもよう。タクシン氏は英紙タイムズのインタビューで、タイの立憲君主制の問題に踏み込む発言も行い、タイ国内で強い反発を招いている。

 タクシン氏とフン・セン首相はタクシン氏が実業家だったころからの知り合いで、度々ゴルフを一緒に楽しむ間柄。こうした関係からか、2007年末に発足したタクシン派サマック政権はカンボジアに融和的で、タイ、カンボジアの国境近くにあるクメール遺跡プレアビヒアのカンボジアによる世界遺産申請を支持した。しかし、プレアビヒアや周辺の土地の領有権を主張する反タクシンの保守派勢力の猛反発を受けた上、タイ憲法裁判所にカンボジアとの合意を違憲とされ、撤回。カンボジアはタイの支持を得ないままプレアビヒアを世界遺産に申請し、昨年7月、登録された。これをきっかけに昨年10月と今年4月、プレアビヒア周辺で両国軍が交戦し、双方の兵士数人が死亡した。タクシン派政権は昨年12月、保守派のデモ隊にバンコクの2空港を占拠された上、憲法裁に与党が解党され崩壊。その後成立した民主党政権はフン・セン首相を「やくざ」呼ばわりしたカシット元駐米大使を外相に起用し、両国関係はギクシャクしている。

 こうした背景に加え、フン・セン首相はタクシン氏に政治的な借りがあるとされ、立憲君主制下の政権運営という共通する経験もある。タイを分裂させ、国境紛争を有利に運びたいという思惑もあり、タクシン氏支援に動いたもようだ。

 一方、タクシン氏がカンボジアと結んでタイ国内に揺さぶりをかけるという危険な戦法に出たのは、タイ国内にある760億バーツに上る一族の資産が汚職容疑で凍結され、裁判で没収される可能性が高まったためとみられる。タクシン氏自身がタイムズ紙のインタビューで認めたように、民主党政権を解散総選挙に追い込み、タクシン派が選挙に勝利し政権に復帰しても、街頭デモやクーデター、司法判断などで再度政権崩壊に追い込まれるのは目に見えている。タクシン氏は問題が解決できるのは「国王、もしくは次期国王である皇太子だけ」としており、諸外国にタイの実態をさらすことで反タクシン派に圧力をかけ、何らかの譲歩を引き出すことを狙っているようだ。

 タイの私立アサンプション大学(ABAC)が6日にタイで行った世論調査で、アピシット・タイ首相の支持率は60%と前回から3倍近く上昇し、タクシン氏の21%に大差をつけた。10月下旬の調査ではそれぞれ21・6%、25%だった。タクシン氏は今回の調査後、「タイ人にとって神も同然」(タクシン氏)であるプミポン国王と王室について言及しており、支持率はさらに下がる可能性がある。

〈タクシン・チナワット〉
1949年、タイ北部チェンマイ生まれの客家系華人。中国名は丘達新。警察士官学校を卒業後、米国に国費留学し、刑法学博士号を取得。帰国後、警察に勤務するかたわら、官公庁へのコンピュータ・リース、不動産開発などを手がけ、1987年に警察中佐で退職。その後、携帯電話サービス、通信衛星などを展開するタイ通信最大手シン・グループを育て上げた。1995年に政界に転じ、1998年にタイラックタイ(タイ人はタイ人を愛する)党を創設。地方、貧困層へのバラマキ政策を掲げ2001年の総選挙で大勝し首相。 2005年2月の総選挙も圧勝、首相に再選されたが、保守派との対立から、2006年9月の軍事クーデターで失脚し、公職追放処分を受けた。2007年末の総選挙でタクシン派が勝利したため、2008年2月に帰国。 8月に出国し、不在中の10月、首相在任中に妻が国有地を競売で購入したことで禁固2年の実刑判決を受けた。その後はタイに帰国せず、主にドバイに滞在している。タクシン派与党は2008年12月に選挙違反で解党され、これに伴い、タクシン派政権からネーウィン元首相府相派と中小連立4党が野党・民主党に寝返り、民主党連立政権が誕生した。チナワット家のタイ国内の資産約760億バーツは凍結され、裁判で没収される可能性が浮上している。
《newsclip》


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