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反タクシン派集会に爆弾、十数人負傷

2009年11月16日(月) 00時40分(タイ時間)
【タイ】タイのテレビ報道によると、15日夜、バンコクで開催された反タクシン元首相派団体「民主主義のための市民同盟(PAD)」の集会で爆弾が爆発し、十数人が負傷した。うち1人は重傷。目撃者によると、バイクに乗った男が手りゅう弾を投げたもようだ。

 PADはタクシン元首相が英タイムズ紙のネット版に掲載されたインタビューでタイ王室に言及したことと、同氏のカンボジア政府顧問就任に抗議し、集会を行っていた。

 タイは2005年以降、タイ国王の諮問機関である枢密院など保守勢力とタクシン派が対立し、クーデターなどで政権が目まぐるしく交代、政情が混乱している。実質的な民主国家に成長するための混乱期という見方もあり、当分は不安定な状況が続く見通しだ。

〈民主主義のための市民同盟(PAD)〉
 タクシン政権の支持者から反対派に急変した実業家のソンティ氏が2005年に設立した反タクシン元首相派団体。2006年春に大規模な街頭デモで政府機能を麻ひ状態に追い込み、同年9月のクーデターの呼び水となった。
 2007年末の総選挙でタクシン派が政権復帰したことから活動を再開し、2008年8月末にバンコクの首相府を占拠。混乱の中、タクシン派のサマック首相が出演料を受け取りテレビの料理番組に出たことを憲法裁判所に違憲とされ、9月に失職、後任の首相にタクシン氏の義弟のソムチャーイ氏が国会で選出されたが、PADはソムチャーイ氏の就任演説を阻止するため、10月7日、国会を包囲し、強制排除を図った警官隊と衝突した。この事件で警官隊が撃った催涙弾の直撃でデモ参加者多数が重軽傷を負ったほか、PAD側の発砲、車による突進などで警官数十人が負傷した。死亡したデモ参加者は男女1人ずつで、男性は所持していた爆弾を誤爆させたとみられる。女性の死因は催涙弾の直撃とみられるが、異論もある。
 この女性の葬儀はシリキット王妃が主宰し、ジュラポン王女、枢密顧問官、陸海空3軍の司令官、当時野党だった民主党のアピシット党首(現首相)、PAD幹部らが出席。政府・与党首脳は姿を見せなかった。
 ソムチャーイ政権はこの事件後、もともと命令に服していなかった軍に加え、警察のコントロールも失った。11月下旬にはバンコクの2空港をPADに無抵抗で占拠され、12月、憲法裁によりタクシン派政権与党が解党され、政権が崩壊。民主党を中心とする新連立政権が発足した。
 PADはタクシン氏の権力拡大を危ぐした伝統的な権力層とタクシン氏に私怨を抱くソンティ氏ら実業家が組織化し、王党派の市民、民営化を嫌う国営企業労組などを動員したとみられる。タイ王室の支持を受けていると主張し、シンボルカラーはプミポン国王の誕生日の色である黄色。


〈タクシン・チナワット〉
 1949年、タイ北部チェンマイ生まれの客家系華人。中国名は丘達新。警察士官学校を卒業後、米国に国費留学し、刑法学博士号を取得。帰国後、警察に勤務するかたわら、官公庁へのコンピュータ・リース、不動産開発などを手がけ、1987年に警察中佐で退職。その後、携帯電話サービス、通信衛星などを展開するタイ通信最大手シン・グループを育て上げた。
 1995年に政界に転じ、1998年にタイラックタイ(タイ人はタイ人を愛する)党を創設。地方、貧困層へのバラマキ政策を掲げ2001年の総選挙で大勝し首相。2005年2月の総選挙も圧勝、首相に再選されたが、保守派との対立から、2006年9月の軍事クーデターで失脚し、公職追放処分を受けた。2007年末の総選挙でタクシン派が勝利したため、2008年2月に帰国。 8月に出国し、不在中の10月、首相在任中に妻が国有地を競売で購入したことで懲役2年の実刑判決を受けた。その後はタイに帰国せず、主にドバイに滞在している。
 タクシン派与党は2008年12月に選挙違反で解党され、これに伴い、タクシン派政権からネーウィン元首相府相派と中小連立4党が野党・民主党に寝返り、民主党連立政権が誕生した。チナワット家のタイ国内の資産約760億バーツは凍結され、裁判で没収される可能性が浮上している。
 タイの隣国のカンボジアは10月、タクシン氏を政府の経済顧問に任命。これを受け、タクシン氏は11月10—14日にカンボジアを訪問した。タイ政府はタクシン氏の身柄引き渡しをカンボジア政府に要求したが、カンボジア側は「タクシン氏は政治犯」だとして拒否。こうした事態を受け、両国は相互に大使を召還、一等書記官を国外退去処分にするなど、亀裂を深めている。
 タクシン氏はまた、カンボジア入り直前に英タイムズ紙のインタビューに応じ、タイの立憲君主制の問題に踏み込む発言も行い、タイ国内で強い反発を招いている。
《newsclip》


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