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〈独占インタビュー〉 コーン財務相

2010年3月29日(月) 03時57分(タイ時間)

——政界入りについて

 政界入りしたのは2005年で、それまでは金融の仕事に携わっていた。タクシン政権(2001—2006年)ではタクシン首相の個人的な利益追求だけが目に付き、多くの人々が不利益を被っていると感じていた。そんな時、英オックスフォード大学時代からの旧友であるアピシット民主党党首(現首相)に誘われ、乱れた政治を正すために力を発揮したいと思い、民主党からの出馬を決めた。民主党を中心とする現政権は、政情を手際よく安定させ、タイを世界的な不況から一早く脱却させ、外国人投資家からの信頼を迅速に取り戻したと思っている。

——タクシン政権の経済政策

 話はそれ以前のチュワン民主党政権にさかのぼらなければならない。1997年に通貨危機が発生、同年末に発足したチュワン政権は危機脱却のためさまざまな政策を打ち出し、1999年にその効果が現れはじめた。タクシン政権が誕生したのは、経済がすでに回復基調に入っていた2001年だ。

 そのタイミングで財政出動という政策をとったことは評価すべきだ。ただ、短期的な政策にとどまり、さらなる経済発展のチャンスを逃してしまった。1年目は確かに、資金注入の効果が見られた。しかし2年目、3年目と緩み続け、4年目は無駄金と化していた。

 タイに必要なのは長期的なインフラ投資だ。タクシン政権では結局、スワンナプーム空港以外は長期的なインフラ投資が実現しなかった。一方、一般国民に対しては安易に貸付を行い、最終的には多くの世帯に負債を背負わせることとなった。

——財務相就任1年で英金融専門誌バンカーの「2010年の最優秀財務相」に選ばれた

 就任当時、「財務相に就くにはあまりにタイミングが悪い」と、周囲から言われた。その分やりがいを感じ、全力を尽くそうと決めた。

 危機の最中だからこそ、官民ともども、そして国同士が力を合わせるものだ。特に昨年は、タイは東南アジア諸国連合(ASEAN)議長国だった。国際舞台で活躍し信頼を得られると思っていた。

 2つの政策に自信があった。1つ目は「タイ・ケムケン(強いタイ)」と呼ぶ、3年半で1兆バーツ以上というタイ史上最大の景気刺激策だ。短期的な経済問題に対処し、海外からの投資を呼び込んで競争力を引き上げ、教育、農業、物流、エネルギーといった分野で長期的な政策を講じる。そのような大規模なプロジェクトを提唱して責任を取るのは、財務相である自分にほかならない。

 2つ目は、金融業者からの負債の政府系銀行への借り換えだ。高金利で返済が困難になった国民の負債を農業・農業協同組合銀行と政府貯蓄銀行が引き受けることにより、国民は両銀行に無理なく返済することが可能となる。申請は120万人で1200億バーツを超えた。非常に好評で満足している。

——3月に訪日、マプタプット問題の説明を含めた投資誘致のセミナーに出席した

 2007年憲法の環境に関する規定で、東部ラヨン県マプタプット地区で計画中の64事業が裁判所命令で凍結された。政府は速やかに事業再開へのガイドラインを示していかなければならないが、むしろ法的な事務処理となる。日本では誠実な態度でなおかつ簡潔な説明を、と考えている。

 このような環境問題に対する姿勢は、長い目で見れば国際的な信用の向上につながる。すでに日本の方々には、タイをよく理解していただいている。

——今後の取り組み

 財務相の仕事は非常にやりがいがあり、今後もいろいろ挑戦すべきだと実感している。昨年は短期的な政策で迅速な結果を求められ、それに対応してきた。今年は昨年より多少難しくなってくるだろう。経済政策は常に、長期的な視野を必要とする。

 インフラ投資や海外からの投資の呼び込みはもちろん、低所得者向けの基金創設や小規模金融システムの構築などにも着手しなければならない。年内により多くの問題を解決し、より快適な環境を築きたいと思っている。

〈コーン・ジャーティカワニット〉
 1964年、ロンドン生まれ。英オックスフォード大学政治学部、経済学部卒。ロンドンの投資銀行SGウォーバーグに勤務後、タイで証券会社JFタナコム・セキュリティーズを設立、大手の一角に育てた後、JPモルガンに売却した。タイの大手保険会社ムアンタイ・インシュアランス取締役、タイ証券取引所(SET)理事などを歴任。2005年の下院選にタイ民主党から出馬、当選。2007年の下院選でも当選し、2008年12月のアピシット政権発足で財務相に就任。父はタイ関税局長、祖父はラマ7世王の枢密顧問官。身長193センチと長身。
《newsclip》


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