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投票ボイコットはタクシン派支持? タイ下院選、水面下の暗闘  

2011年6月8日(水) 15時17分(タイ時間)
【タイ】7月3日の下院選を前に、反タクシン元首相派として知られるデモ団体「民主主義のための市民同盟(PAD)」と同じく反タクシン派の与党・民主党の対立が深まっている。アピシット首相(民主党党首)とステープ副首相(民主党幹事長)は7日、8日に相次いで、PAD創設者で実業家のソンティ氏がタクシン派に寝返ったという疑念を示した。

 PADは下院選で「動物(のような政治家)を国会に入れるな」と投票ボイコットを呼びかけているが、PADの支持層はバンコクの王党派中間層で、民主党と重なる。PADの呼びかけが奏功すると、民主党はバンコクで票を失い、民主党と第1党を争うタクシン派の野党プアタイに有利に働くと予想される。民主党陣営は「投票ボイコットはプアタイ支持と同じ」と指摘し、PADの真意に疑いの目を向けている。

 ソンティ氏はまた、昨年タクシン氏の資産没収を命じた裁判で偽証したとして、反タクシン派の学者らが、タクシン氏の妹でプアタイの比例代表1位のインラク氏を追求する姿勢を見せていることについて、自社のケーブルテレビ番組の中で、この学者らが大政党の支持を受けていると発言した。以前ならこうした追求はPADが先頭を切って行っていただけに、民主党の裏工作を批判するような言動はアピシット首相らの反発を買った。

 ソンティ氏とタクシン氏は1980、1990年代、2人が実業家だった当時からの付き合いで、2001年のタクシン政権誕生にはソンティ氏傘下のメディアグループも一役買った。タクシン政権にソンティ氏の人脈から多数の人材が送り込まれるなど両者の関係は深かったが、ソンティ氏は2005年になり突然、反タクシン派に転じ、PADを設立。当時圧倒的支持を誇ったタクシン氏を巧みなメディア戦略と大規模なデモで窮地に追い込み、機能不全に陥ったタクシン政権は2006年9月のクーデターで崩壊した。タクシン派は軍事政権下の2007年末に行われた下院選で勝利し、政権に復帰したが、PADによる首相府やバンコクの2空港占拠などで追い詰められ、2008年12月、憲法裁判所命令による与党解党で民主党に政権を奪われた。

 こうした経緯から、反タクシンの急先鋒と見られたソンティ氏だが、今年2月、国外逃亡中のタクシン氏と1月下旬にクウェートで密談したという消息筋情報がタイ字紙で報じられた。ソンティ氏は「民主党が流した偽情報」だとして密談を否定したが、PADはソンティ氏が帰国したとされる翌日から、バンコクのタイ首相府前で反アピシット政権の座り込みデモを開始。ソンティ氏は1月28日にPADのデモ会場で行った演説で、アピシット首相の支持層を「サクディナ(タイの封建制度)の連中」と呼んで批判した。タクシン派は反タクシン派の中核である特権階級を「アマタヤ(封建官僚)」と呼んでおり、ソンティ氏の発言はタクシン派への接近と受け取られた。

〈ソンティ・リムトーンクンとPAD〉
 ソンティ氏は1947年生まれ。中国名は林明達。父親は中国・潮州から移民した元中国国民党員で、タイで中国語の本の印刷事業などを手がけた。
 ソンティ氏はタイのアサンプション大学(ABAC)付属校シラチャー校を卒業後、台湾で中国語を勉強、後に米国の大学に留学した。1973年に帰国し、新聞編集者、雑誌発行などを経て、1983年にタイ字紙プージャッカーンを創刊。同紙をタイ字経済紙のトップに育て上げ、1990年に発行元のマネジャー・メディア・グループ(MGR)をタイ証券取引所(SET)に上場した。また、エンジニアリング、携帯電話販売のインターナショナル・エンジニアリング(IEC)を買収し、未公開株の17・5%をタクシン氏に譲渡、1992年に同社もSETに上場した。タクシン氏は10バーツで買ったIEC株を上場後、250バーツで全株売却し、6億—7億バーツの利益を得たとされる。
 MGRはさらに、通信衛星、携帯電話サービス、英字紙(アジアタイムズ)へと事業展開を図ったが、1997年のアジア経済危機で経営破たんし、経営再建を図ったものの、2008年11月に破産宣告を受けた。以降、MGRの新聞、雑誌はソンティ氏らが経営する反タクシン派ケーブルテレビ局傘下に収まり、「ASTV」ブランドで発行を続けている。
 ソンティ氏とタクシン政権は同政権で副首相、財務相、商務相などを務めたソムキッド氏が1990年代にプージャッカーンにコラムを連載していたほか、タクシン氏の有力ブレーンであるパンサック元首相顧問がアジアタイムズの編集長を務めるなど、人脈面でつながりが深い。タクシン氏の旧友であるタノン元財務相はABACシラチャー校でソンティ氏と同級生だった。
 こうした関係からか、MGRは2001年の下院総選挙で全社を挙げてタクシン派政党を支持。タクシン政権が発足すると、MGRの関係会社社長だったカノク・アピラディー氏がタイ国際航空の社長、ソンティ氏と親しい銀行家のウィロート・ヌアンケー氏が国営クルンタイ銀行(KTB)の社長になった。KTBはウィロート社長の下、MGRに対する債権16億バーツを放棄した。
 しかし2004年にウィロート社長、2005年にカノク社長が解任されると、ソンティ氏は強硬な反タクシン派に転じ、自らがホスト役を務める国営テレビ局チャンネル9の人気トーク番組で、政権の汚職、権力乱用を激しく批判。2005年9月に同番組が打ち切られると、バンコク都内のルムピニ公園での野外トークショーとして継続し、ネットやケーブルテレビを通じ配信を続けた。活動を強化するため結成した反タクシン派団体「民主主義のための市民同盟(PAD)」にジャムロン元バンコク都知事らが合流、バンコク都内で大規模な抗議集会を連続開催し、 2006年9月の軍事クーデターを呼び込んだ。
 2007年末に行われた民政移管のための総選挙でタクシン派が勝利、政権に復帰したことを受け、PADは2008年5月に活動を再開。2008年8月から年末まで首相官邸にあたるタイ首相府を数千人で占拠したほか、11月下旬からはバンコクの2空港も占拠し、タイの空路交通を遮断した。空港占拠中に憲法裁判所がタクシン派与党を解党、政権が野党民主党に移ったことから活動を停止。2009年6月に「新政治党」を政党登録した。
 PADはタイ王室の支持を受けていると主張し、シンボルカラーはプミポン国王の誕生日の色である黄色。2008年10月にPADのデモ隊が国会議事堂周辺で警官隊と衝突し、メンバーの女性が死亡した際には、シリキット王妃が葬儀を主宰した。
 アピシット政権下の2009年4月、ソンティ氏が乗った乗用車がバンコク都内で数台のピックアップトラックから銃撃を受け、車は蜂の巣となったが、ソンティ氏は軽いけがで助かった。使用された銃弾はタイ陸軍のものであることがわかっている。ソンティ氏は事件後、シリキット王妃の側近の女性らの名前を上げ、「今回の暗殺未遂に関与したとは個人的には信じていないが、万が一そうだとしても、恐れていない」と述べた。
《newsclip》


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