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「政権参加は圧力のせい」 タイ連立パートナーが暴露

2011年6月10日(金) 00時58分(タイ時間)
【タイ】7月3日の下院(定数500)選を前に、タイ連立政権の中核の民主党とパートナーの一角であるチャートタイパタナー党の間にすきま風が吹いている。民主は自党で200議席前後を確保し、チャートタイパタナー党、プームジャイタイ党といった連立パートナーを加え、過半数を維持する戦略を立てていたが、世論調査でタクシン元首相派の野党プアタイの優勢が明らかになるにつれ、チャートタイパタナーの立ち位置が不明瞭となってきた。いらだちを強める民主に対し、チャートタイパタナーは民主を不誠実だと批判するなど、両党の舌戦がエスカレートしている。

 チャートタイパタナーはバンハーン元首相率いるチャートタイ党が前身。2007—2008年のタクシン派政権に加わったチャートタイが2008年末に選挙法違反で解党された際に、所属議員の受け皿として発足し、軍など反タクシン派の圧力を受け、反タクシン派の民主党陣営に参加した。バンハーン氏が解党にともない5年間の参政権停止処分を受けたため、弟のチュムポン観光スポーツ相が党首を務めている。

 同党で最初に民主への不満をもらしたのはバンハーン氏だ。「5月の下院解散後、ステープ副首相(民主党幹事長)から何の連絡もない」「アピシット首相(民主党党首)は連立政権発足時(2008年末)に私と交わした約束を守っていない」などとぐちをこぼし、ステープ氏が謝罪する一幕があった。しかしアピシット首相は「家族を連れてバンハーンさんの地元の水族館に行くという以外は全ての約束を守った」と反論。首相はさらに、「政権発足時には(チャートタイパタナーなどと連立を組む以外)選択肢がなかった」と述べた。これに対しチュムポン氏は9日、遊説先で「連立パートナーの名誉を損なう発言で、大変傷ついた。チャートタイパタナーも好きで連立政権に参加したわけではない。避けようのない圧力がかかったからだ」と強い不快感を表明した。

 バンハーン氏は風見鶏的でつかみどころのない政界遊泳術から「ウナギ」の異名を持ち、今回の舌戦も民主との絶縁を意味するものではない。ただ、チャートタイパタナーに関しては、同党顧問のサナン副首相(元民主党幹事長)が昨年、国外逃亡中のタクシン氏と会ったといううわさがある上、バンハーン氏自身が「選挙後、タクシン派、反タクシン派の対立で両派から首相を出しにくい場合はサナンさんが首相に相応しい」と発言。プアタイの首相候補に関するタクシン氏のあいまいな態度を考え合わせると、プアタイ中心の連立政権でサナン氏が首相という裏取引をバンハーン、サナン、タクシンの3氏が結んだ可能性があり、ここら辺りが民主をいらつかせる原因となっているのかもしれない。

〈バンハーン・シラパアーチャー〉
 1932年、タイ中部スパンブリ県生まれ。中国移民の2代目で、中国語名は馬徳祥。建設、運送などで財を成した後、政界入りし、1995—1996年に首相を務めた。1990年代のニックネームは抜群の資金力から「歩くATM」。巧みな政界遊泳術で知られ、「ウナギ」とも呼ばれる。


 1935年生まれ。陸軍士官学校卒。退役陸軍少将。民主党幹事長、副首相兼内相だった2000年に虚偽の資産報告で5年間の参政権停止処分を受けた。現在はチャートタイパタナー党顧問。

〈タクシン・チナワット〉 
 1949年、タイ北部チェンマイ生まれの客家系華人。中国名は丘達新。警察士官学校を卒業後、米国に国費留学し、刑法学博士号を取得。帰国後、警察に勤務するかたわら、官公庁へのコンピュータリース、不動産開発などを手がけ、1987年に警察中佐で退職。その後、携帯電話サービス、通信衛星などを展開するタイ通信最大手シン・グループを育て上げた。
 1995年に政界に転じ、1998年に政党を設立。地方、貧困層へのばらまき政策を掲げ2001年の総選挙で大勝し首相。2005年2月の総選挙も圧勝、首相に再選されたが、2006年9月の軍事クーデターで失脚し、公職追放処分を受けた。2007年末の総選挙でタクシン派が勝利したため、2008年2月に帰国。 8月に出国し、不在中の10月、首相在任中に妻が国有地を競売で購入したことで懲役2年の実刑判決を受けた。その後はタイに帰国せず、主にドバイに滞在している。
 タクシン派与党は2008年12月に選挙違反で解党され、これに伴い、タクシン派政権からネーウィン元首相府相派と中小連立4党が野党・民主党に寝返り、民主党連立政権が誕生した。
 チナワット家のタイ国内の資産約760億バーツはクーデター後に凍結され、タイ最高裁が2010年2月26日、不正蓄財だとして、このうち464億バーツの国庫没収を命じた。

〈アピシット・ウェーチャチーワ〉
 1964年、両親の滞在先である英国のニューカッスルで生まれた。タイ国籍のほか、英国籍を持つ。英国の名門パブリックスールであるイートン校から英オックスフォード大学に進み、経済学修士号を取得。1992年にタイ下院に初当選し、1997—2001年首相府相、2005年からタイ民主党党首、2008年から首相と、超エリートコースを歩んだ。両親と姉は医師で、父は閣僚経験がある。妹は2006年の東南アジア文学賞を受賞した作家。アピシットはタイ語で「特権」を意味する。
《newsclip》


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