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タイ下院選、与党民主が大苦戦?

2011年6月13日(月) 00時27分(タイ時間)
【タイ】タイの新聞各紙が11日に報じたタイ警察による7月3日投票の下院(定数500)選情勢調査で、与党民主党が予想外の苦戦を強いられているという結果が出た。警察は調査の実施を否定しているが、内容が事実とすると、民主党による政権維持は困難な情勢だ。

 報道によると、この調査は375ある小選挙区のうち、深南部3県とバンコクを除く331の選挙区で行われた。予想獲得議席はタクシン元首相派のプアタイ164、民主83、プームジャイタイ42、チャートタイパタナー24、チャートパタナープアペンディン12、パランチョン5だった。プームジャイタイ、チャートタイパタナー、チャートパタナープアペンディンの3党は現政権の連立パートナーだが、チャートタイパタナーとチャートパタナープアペンディンは下院選の結果次第ではプアタイとの連立もありうるとしている。

 一方、私立バンコク大学が6月2—9日にバンコクの有権者を対象に行った世論調査(回答者3323人)で、33あるバンコクの小選挙区のうち、プアタイが21選挙区、民主が6選挙区で優勢という結果が出た。政党支持率は比例代表でプアタイ33・6%、民主17・1%、小選挙区でプアタイ33・8%、民主17・6%だった。「まだ決めていない」は比例代表で44・1%、小選挙区で46・4%。プアタイの支持率は5月20—22日に実施した前回調査から7・5—7・8ポイント上昇したが、民主の上げ幅は1・2—1・3ポイント止まりと勢いがない。

 「首相に誰を望むか」という質問では、42・6%がタクシン元首相の妹でプアタイの比例代表1位のインラク・チナワット氏と回答した。支持率は前回調査から15・7ポイント上昇。アピシット・ウェーチャチーワ首相は6・2ポイント上昇の23・6%だった。

 2007年の前回下院選でバンコクでの獲得議席は民主が36議席中27、プアタイの前身であるパランプラチャーチョン党が9だった。

選挙に強いタクシン派、これまで3連勝

 過去3回の下院選を振り返ると、2001年は地方・貧困層へのばらまき政策、社会保障政策を掲げたタクシン派政党が単独過半数に迫り第1党となり、第1次タクシン政権が発足した。2005年は1期目で成果を挙げたタクシン派が議席の75%を占め圧勝し、2期目へ。タクシン氏は特権階級との権力闘争に破れ、2006年の軍事クーデターで追放されたが、クーデター政権下で行われた2007年末の総選挙ではタクシン派政党が480議席中230議席を占め第1党となり、政権に復帰した。しかし、特権階級の指示で軍がタクシン派政権と距離を置き、反タクシン派のデモ隊がほぼ無防備の首相府や空港を占拠。さらに、2008年末に憲法裁判所がタクシン派与党を解党し、政権が崩壊した。混乱の中、民主党とタクシン派の一部が軍基地内で密談し、連立政権発足に合意、現在のアピシット政権が誕生した。

 2010年にはタクシン派のデモ隊がバンコク都心部を長期間占拠し、治安部隊との衝突で90人以上が死亡、1400人以上が負傷する非常事態となったが、特権階級・軍の後押しを受けるアピシット政権はこの危機を切り抜け、任期満了まで半年以上残した今年5月に下院を解散、総選挙に踏み切った。

 今回の下院選は小選挙区375、比例代表125の計500議席を争う。民主とプアタイという2大政党が選挙戦の中心だが、プアタイは第1党となった場合も、特権階級の干渉で、中小政党との連立工作が難航する見通しだ。単独過半数もしくはそれに近い議席を得て政権に復帰しても、2008年同様、特権階級との対立で政権が立ち行かなる可能性がある。

 民主中心の連立政権が続く場合は過去2年半同様、特権階級・軍の支持を受け、政権は比較的安定すると予想される。2010年のようにタクシン派が暴動を起こしても、軍の支持があれば最終的には切り抜けることが可能だ。ただ、アピシット首相の後見人的立場とみられるプレム枢密院議長(元首相、元陸軍司令官)は今年91歳と高齢で、世代交代の波が政局を揺るがす恐れがある。

 どちらの党が政権に就いても、経済政策、外資誘致政策に大きな変化はないとみられる。タクシン派は2001—2006年と2008年、民主は1998—2000年と2009年から現在まで政権を担当し、外資の重要度は熟知している。外交面ではタクシン氏はもともと親中で日本との関係はギクシャクしていた上、クーデター後の対応で日本への不満を深めたともいわれ、タクシン派が政権に復帰した場合、日本との関係がどうなるかは未知数だ。

〈アピシット・ウェーチャチーワ〉
 1964年、両親の滞在先である英国のニューカッスルで生まれた。タイ国籍のほか、英国籍を持つ。英国の名門パブリックスールであるイートン校から英オックスフォード大学に進み、経済学修士号を取得。1992年にタイ下院に初当選し、1997—2001年首相府相、2005年からタイ民主党党首、2008年から首相と、超エリートコースを歩んだ。両親と姉は医師で、父は閣僚経験がある。妹は2006年の東南アジア文学賞を受賞した作家。アピシットはタイ語で「特権」を意味する。
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アピシット首相(バイク上の男性)

〈インラク・チナワット〉
 1967年生まれで、9人兄弟の末っ子。タイ国立チェンマイ大学政治・行政学部卒、米ケンタッキー州立大学経営学修士。兄のタクシン氏が創業したタイ携帯電話サービス最大手アドバンスド・インフォ・サービス(AIS)、チナワット財閥の不動産会社SCアセットなどの社長を務めた。政治経験はほとんどない。事実婚で子供が1人いる。
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インラク氏(写真中央の女性)

〈タクシン・チナワット〉 
 1949年、タイ北部チェンマイ生まれの客家系華人。中国名は丘達新。警察士官学校を卒業後、米国に国費留学し、刑法学博士号を取得。帰国後、警察に勤務するかたわら、官公庁へのコンピュータリース、不動産開発などを手がけ、1987年に警察中佐で退職。その後、携帯電話サービス、通信衛星などを展開するタイ通信最大手シン・グループを育て上げた。
 1995年に政界に転じ、1998年に政党を設立。地方、貧困層へのばらまき政策を掲げ2001年の総選挙で大勝し首相。2005年2月の総選挙も圧勝、首相に再選されたが、2006年9月の軍事クーデターで失脚し、公職追放処分を受けた。2007年末の総選挙でタクシン派が勝利したため、2008年2月に帰国。 8月に出国し、不在中の10月、首相在任中に妻が国有地を競売で購入したことで懲役2年の実刑判決を受けた。その後はタイに帰国せず、主にドバイに滞在している。
 タクシン派与党は2008年12月に選挙違反で解党され、これに伴い、タクシン派政権からネーウィン元首相府相派と中小連立4党が野党・民主党に寝返り、民主党連立政権が誕生した。
 チナワット家のタイ国内の資産約760億バーツはクーデター後に凍結され、タイ最高裁が2010年2月26日、不正蓄財だとして、このうち464億バーツの国庫没収を命じた。
《newsclip》


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