RSS

アピシット・タイ首相インタビュー 下院選見通し 日本との関係

2011年6月21日(火) 11時44分(タイ時間)
【タイ】タイのアピシット首相は5月23日、ニュースクリップのインタビューに応じ、7月3日投票の下院選の見通し、カンボジアとの国境紛争、日本との関係などについて語った。

——首相就任から2年半が過ぎた。政権の成果は?

 第1に、世界的な経済危機(リーマンショック)からの立ち直りだ。2008年暮れから2009年にかけ、タイは世界的な不況のあおりを受けたが、2010年には国内総生産(GDP)伸び率が8%に達した。
 もうひとつは、不安定な政局の中で、低所得者層に対する支援、若者の就学機会の創出といった政策を打ち出し、軌道に乗せた点だ。具体的には、コメ、キャッサバ、大豆などの農家の所得保障、月額500バーツの高齢者支援、公立学校での15年間の基礎教育無料化などだ。

——下院選の勝算は?

 選挙戦が始まったばかりの現時点で具体的な予想を述べるのは難しいが、(アピシット首相が党首の民主党は)200議席の獲得を目指している(改選前172議席)。次期政権を担うとすれば連立を意味し、現在のような連立パートナーを想定している。
 政策としてはまず、高騰する生活コスト、麻薬問題への取り組みとなる。調理用ガスや軽油などの価格を抑え、国民の生活への負担を緩和させる。一方で収入向上を促すため、最低賃金の引き上げや農家の所得保障拡充に取り組みたい。
 麻薬対策では軍・警察からなる特別部隊による取り締まり、罰則の強化など法整備に力を入れる。

——(タクシン元首相派の野党)プアタイとの政策の違いは?

 国民への経済支援で政策の違いがある。例えばプアタイは政権を奪取した場合、我々が成功させた農家の戸別所得保障制度を廃止するようだ。
 そもそもプアタイは経済政策より(国外逃亡中の)タクシン元首相の恩赦を真っ先に打ち出してきた。民主党はタクシン氏の恩赦に優先性はなく、国民の不和をさらに悪化させる危険があると見ている。

——世論調査でプアタイが支持率を上げているが? そもそもこの時期に解散を決定した意図は?

 世論調査はそのようなものだろう。常に事実を示しているわけではない。選挙戦は始まったばかりだ。
 解散時期については、昨年のような国民不和(反政府デモ)が再発し、政情不安に陥ることを懸念したためだ。国民がより早い時期に選挙の機会を得て、新政権がタイという国を前進させ、国民自身に問題を解決して欲しかった。

——プアタイとの協力の可能性は?

 次期選挙が正当に実施され、あらゆる立場の者がその結果を受け入れ、新政権と共に問題解決に取り組むことを願っている。昨年の反政府デモについては独立調査委員会が立ち上げられ、政権交代があったとしても調査を続行していくことになろう。
 プアタイがタクシン元首相の恩赦を主張し続けるのであれば、協力は難しい。民主党は元首相への恩赦で国民和解が進むとはみていない。

——タクシン派の集会ではよく、「真の民主主義を」という声が挙がるが?

 タイは民主主義を確実に築いていっていると、私は確信している。自由も人権も尊重されている。(質問が軍の関与を指摘するのであれば)私はクーデターをかつて一度も支持したことはないが、そのような関与があるのも事実だ。特定の権力に傾くことなく、あらゆる立場の者が政治主導により、民主主義の確立に努力することが大事だ。

——カンボジアとの国境問題について。カンボジアを支持する国際世論も見受けられるが?

 カンボジアが国連教育科学文化機関(ユネスコ)にワット・カオプラウィハーン(タイとカンボジアの国境未画定地域近くにあるカンボジア領のヒンドゥー寺院遺跡プレアビヒア)の世界遺産登録を申請して以降、衝突が起きている。武力衝突が起きるたびに、カンボジアは国際司法裁判所やユネスコに訴えている。そのような事実に注目していただきたい。
 今年2月以降、カンボジア国境で衝突が続いているが、タイ側から始めたものではない。その意味が見出せない。そもそもタイとカンボジアは当初より、国境未画定地帯については共同管理で合意に至っている。そのような地域(カンボジア領として拝観が続いていたプレアビヒア)にわざわざカンボジア兵を登らせているのだ。

——今年2月の東南アジア諸国連合(ASEAN)外相会議で決まったインドネシア監視団の受け入れについては?

 第3者、すなわちインドネシアの監視団の受け入れには合意している。しかし国境未画定地域で軍が対峙(じ)している限り、第3者による公正な監視はありえない。カンボジア国境には兵力が集中しており、撤兵の兆しが見られない。このような状況が続く限り、問題解決には至らない。

——日本で震災と原発事故があった。タイの原発導入政策への影響は?

 原発導入の可能性を探るため、専門家チームの結成といった準備は整っている。しかし具体的な考えを明らかにするには、3、4年の時間を要するだろう。

——タイ日関係、今回の震災に対する支援について

 日本はタイへの投資で非常に長い間、トップを維持する国だ。日本からの投資はタイという国の発展に大きく貢献し、とても感謝している。
 タイと日本は兄弟のような関係にあると思っている。私の自宅は日本人が多く住むスクムビット通りにある。
 日本が震災にあったとき、我々タイ人は哀悼の意を表明し、ただちに支援を決めた。(総額2億バーツという)異例の多額支援で、さまざまな救援物資を送った。
 このような大規模な支援はタイ人の気持ちの表れであり、両国関係をさらに強化すると信じている。

〈アピシット・ウェーチャチーワ〉
 1964年、両親の滞在先である英国のニューカッスルで生まれた。タイ国籍のほか、英国籍を持つ。英国の名門パブリックスールであるイートン校から英オックスフォード大学に進み、経済学修士号を取得。1992年にタイ下院に初当選し、1997—2001年首相府相、2005年からタイ民主党党首、2008年から首相と、超エリートコースを歩んだ。両親と姉は医師で、父は閣僚経験がある。妹は2006年の東南アジア文学賞を受賞した作家。アピシットはタイ語で「特権」を意味する。

〈インラク・チナワット〉
 1967年生まれで、9人兄弟の末っ子。タイ国立チェンマイ大学政治・行政学部卒、米ケンタッキー州立大学経営学修士。兄のタクシン氏が創業したタイ携帯電話サービス最大手アドバンスド・インフォ・サービス(AIS)、チナワット財閥の不動産会社SCアセットなどの社長を務めた。政治経験はほとんどない。事実婚で子供が1人いる。

〈タクシン・チナワット〉
 1949年、タイ北部チェンマイ生まれの客家系華人。中国名は丘達新。警察士官学校を卒業後、米国に国費留学し、刑法学博士号を取得。帰国後、警察に勤務するかたわら、官公庁へのコンピュータリース、不動産開発などを手がけ、1987年に警察中佐で退職。その後、携帯電話サービス、通信衛星などを展開するタイ通信最大手シン・グループを育て上げた。
 1995年に政界に転じ、1998年に政党を設立。地方、貧困層へのばらまき政策を掲げ2001年の総選挙で大勝し首相。2005年2月の総選挙も圧勝、首相に再選されたが、2006年9月の軍事クーデターで失脚し、公職追放処分を受けた。2007年末の総選挙でタクシン派が勝利したため、2008年2月に帰国。8月に出国し、不在中の10月、首相在任中に妻が国有地を競売で購入したことで懲役2年の実刑判決を受けた。その後はタイに帰国せず、主にドバイに滞在している。
 タクシン派与党は2008年12月に選挙違反で解党され、これに伴い、タクシン派政権からネーウィン元首相府相派と中小連立4党が野党・民主党に寝返り、民主党連立政権が誕生した。
 チナワット家のタイ国内の資産約760億バーツはクーデター後に凍結され、タイ最高裁が2010年2月26日、不正蓄財だとして、このうち464億バーツの国庫没収を命じた。
《newsclip》


新着PR情報