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タイ軍、タクシン氏と手打ち? 香港のニュースサイト報道

2011年6月30日(木) 14時24分(タイ時間)
【タイ】香港を拠点とするニュースサイト、アジアタイムズが、7月3日のタイ下院選後のタイの政治的枠組みについて、反タクシン元首相派の特権階級の一部と軍がタクシン元首相との取引に応じたと報じた。プラウィット国防相(元陸軍司令官)らが2月にブルネイでタクシン氏と密談し、タクシン派が下院選で勝利した場合、同派による政権樹立を軍が認める一方、タクシン派が▽昨年4、5月のタクシン派デモ弾圧について軍幹部を訴追しない▽軍の人事に介入しない▽王室批判を中止する▽タクシン氏などへの恩赦を検討する委員会を設置し、恩赦案を国民投票にかける——などの条件に同意したという。

 この報道について、タクシン派野党プアタイの比例代表1位でタクシン氏の妹のインラク氏は30日、「詳細は知らない。事実ではないと思う」などと述べた。プラウィット国防相らに同行したとされるワタナー元商務相はブルネイでタクシン氏に会ったことは認めたが、国防相らが一緒だったことは否定した。

 アジアタイムズの今回の記事はタイの権力中枢の複数の消息筋情報をもとに書かれており、内容が事実とすれば、記者は普通ではありえない情報源を持っていることになる。アジアタイムズはタイ人実業家のソンティ氏が率いる新聞大手マネジャー・グループと関係がある。ソンティ氏はタクシン氏の支持者だったが、2005年に反タクシン派に転じ、デモ団体「民主主義のための市民同盟(PAD)」を設立。2006年、2008年に大規模な反タクシン派デモを組織し、2008年にはタイ首相府やスワンナプーム空港を占拠するなどした。しかし今年に入り反タクシン派のアピシット民主党政権打倒を掲げ、タクシン派に寝返ったのではないかという疑念をアピシット首相らが示していた。

 タイではタクシン政権(2001—2006年)を追放した2006年の軍事クーデター以降、特権階級を中心とする反タクシン派と、地方住民、低所得者層を支持基盤とするタクシン派の抗争が続いている。今回の下院(定数500)選は当初、民主とプアタイがそれぞれ200議席程度の接戦と予想されたが、女性のインラク氏を前面に押し出したプアタイが支持を広げ、単独過半数をうかがう展開となっている。特権階級はタクシン氏の反王室的な動きを嫌い、クーデターや司法判断などでタクシン派の政権を潰してきたが、アジアタイムズの記事によると、タクシン派の人気が衰えず、反王室的な動きが顕著になってきたことから、一部がタクシン氏との妥協に傾いたとみられる。

〈民主主義のための市民同盟(PAD)〉
 タクシン政権(2001—2006年)当時の2005年に中国系2世のタイ人実業家ソンティ氏が設立。タクシン氏の王室への不敬、汚職疑惑などを追及し、2006年に数万人規模の街頭デモをバンコクで連続開催、政治機能を麻ひさせ、同年9月の軍事クーデターによるタクシン政権追放を呼び込んだ。
 2007年末の総選挙でタクシン派が政権に復帰したことから活動を再開し、2008年8月から同年12月まで首相官邸にあたるタイ首相府を数千人で占拠。11月下旬からバンコクの2空港も占拠し、タイの空路交通を遮断した。空港占拠中の12月に憲法裁判所がタクシン派与党を解党、反タクシン派の民主党を中心とするアピシット政権が発足したことから活動を停止した。
 2011年になり、カンボジアとの国境紛争への対応などを口実にアピシット政権への対立姿勢を明確にし、1月下旬からタイ首相府前で座り込みの反政府デモを開始。2008年同様、クーデターによる政権打倒を支持するなど、一部特権階級の代弁者的な主張を行っている。
 PADはタクシン氏の権力拡大や民主主義の浸透を危ぐした特権階級の影響下にあるとみられる。タイ王室の支持を受けていると主張し、シンボルカラーはプミポン国王の誕生日の色である黄色。2008年10月にPADのデモ隊が国会議事堂周辺で警官隊と衝突し、支持者の女性が死亡した際には、シリキット王妃が葬儀を主宰した。
《newsclip》


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