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タイ下院選 タクシン派過半数、特権階級支配に「NO」

2011年7月4日(月) 02時05分(タイ時間)
【タイ】3日に投開票されたタイ下院選は、タクシン元首相派の野党プアタイ(タイのため)党が過半数を制し、中小政党を取り込み連立政権を樹立する見通しとなった。タイでは2006年の軍事クーデターと2008年の司法判断で、選挙で選ばれたタクシン派政権が2度覆された。タイ国民はこうした経験から、国の実権を握り、民意を軽視する反タクシン派特権階級への反発を強めており、今回の選挙結果は国民が特権階級に「NO」を突きつけたといえそうだ。ただ、特権階級が選挙結果を受け入れるかどうかは不透明で、新政権はプアタイの解党を求める裁判や軍事クーデターに怯えながら、特権階級との妥協点を探すことになりそうだ。

 3日午後10時発表のタイ選挙委員会の非公式集計で、下院(定数500)選の獲得議席数はプアタイ264、アピシット首相(46)率いる民主党160、アピシット政権の連立パートナーだったプームジャイタイ党34、チャートタイパタナー党19、チャートパタナープアペンディン党7、東部を中心とする地域政党のパランチョン党6、元ソープランドチェーン・オーナーが結党したラックタイランド党4——など。

 プアタイは今年3、4月の政党支持率調査で民主党と互角かやや不利と報じられていた。しかし、タクシン元首相(61)が「私のクローン」と呼ぶ末妹のインラク氏(44)を比例代表名簿1位の首相候補とした戦略が奏功。庶民的ながらカリスマ性があるインラク氏が行く先々で熱狂を巻き起こした一方、名門出身のエリートであるアピシット首相は庶民の中にいると最後までぎこちなさが抜けず、両党の差は急速に開いていった。

 インラク氏は大勢が判明した3日夜、記者会見を開き、緊張した面持ちで、支持者らに謝意を伝え、「プアタイが勝ったとは言いたくありません。国民の皆さんから、我々が国のために奉仕する機会を頂いたと思っています」と述べた。また、チャートタイパタナーに連立政権入りを打診したことを明らかにした。連立政権の枠組みはプアタイとチャートタイパタナーにチャートパタナープアペンディン、パランチョンなどを加え、300議席弱になると予想される。

 アピシット首相は記者会見で敗北を認め、タイ初の女性首相となる見通しのインラク氏に祝意を伝えた。また、民主党の獲得議席数の最低ラインを2007年の前回下院選で獲得した165としていたことから、進退について「胸の中で決めてある」と述べ、党首辞任を匂わせた。

 タクシン氏は3日夜、滞在先のドバイからタイのテレビ番組に国際電話で出演した。タクシン氏は2007年に汚職で実刑判決を受け、国外逃亡中。参政権も停止中だ。インタビュアーはタクシン氏から恩赦や帰国の見通し、連立政権の枠組みなどに関する話を引き出そうとしたが、タクシン氏は参政権停止中に政党運営に関わったとされることを避けるため、慎重な言い回しに終始した。ただ、タクシン氏はプアタイの政治集会に何度もビデオ電話で登場しており、こうした活動が原因でプアタイが裁判所に解党を命じられる可能性が出ている。

汚職でも民主主義がまし?

 過去4回の下院選を振り返ると、2001年は地方・貧困層へのばらまき政策、社会保障政策を掲げたタクシン氏の新党が単独過半数に迫り第1党となり、第1次タクシン政権が発足した。2005年は1期目で成果を挙げたタクシン派が議席の75%を占め圧勝し、2期目へ。タクシン氏は特権階級との権力闘争に破れ、2006年の軍事クーデターで追放されたが、クーデター政権下で行われた2007年末の総選挙でタクシン派のパランプラチャーチョン党が480議席中233議席を占め第1党となり、政権に復帰した。しかし、特権階級の指示で軍がタクシン派政権と距離を置き、反タクシン派のデモ隊がほぼ無防備の首相府やバンコクの2空港を占拠。さらに、2008年末に憲法裁判所がパランプラチャーチョンを解党し、政権が崩壊した。混乱の中、民主党とタクシン派の一部が軍基地内で密談し、連立政権発足に合意、アピシット政権が誕生した。

 2010年にはタクシン派のデモ隊がバンコク都心部を長期間占拠し、治安部隊との衝突で91人が死亡、1400人以上が負傷する非常事態となったが、アピシット政権はデモを武力鎮圧してこの危機を切り抜け、任期満了まで半年以上残した今年5月に下院を解散、総選挙に踏み切った。民主党は政党支持率調査をみて、連立パートナーの議席を足せばプアタイに勝てると踏んだようだが、今回の下院選では2007年の前回よりも議席を減らし、政権を失うことになった。

 アピシット政権は発足の経緯からして、特権階級・軍の後押しを受けていることが明らかだった。2010年の衝突では、軍幹部の訴追につながることを懸念してか、デモ参加者の死亡状況に関する調査を事実上放棄し、タクシン派、反タクシン派の和解に取り組む意思がないと、国民にみなされた。また、タクシン派潰しの強引な司法判断や不敬罪による投獄が相次ぎ、不敬罪容疑で遮断されたウェブサイトは6万ページ近くに上る。経済政策は玄人筋の評価が高かったが、物価上昇を抑え込むことが出来ず、庶民の間に不満が広がった。

 アピシット首相、コーン財務相らアピシット政権幹部の多くは留学経験が豊富な国を代表するエリートだ。一方のタクシン派は「汚職体質」「反王室」というレッテルをはられている。それでもタクシン派が選挙で勝利したのは、「汚職」でも民主主義を失うよりはまし、という民意が働いたといえそうだ。

〈インラク・チナワット〉
 1967年生まれで、9人兄弟の末っ子。タイ国立チェンマイ大学政治・行政学部卒、米ケンタッキー州立大学経営学修士。兄のタクシン氏が創業したタイ携帯電話サービス最大手アドバンスド・インフォ・サービス(AIS)、チナワット財閥の不動産会社SCアセットなどの社長を務めた。政治経験はほとんどない。事実婚で子供が1人いる。

〈タクシン・チナワット〉
 1949年、タイ北部チェンマイ生まれの客家系華人。中国名は丘達新。警察士官学校を卒業後、米国に国費留学し、刑法学博士号を取得。帰国後、警察に勤務するかたわら、官公庁へのコンピュータリース、不動産開発などを手がけ、1987年に警察中佐で退職。その後、携帯電話サービス、通信衛星などを展開するタイ通信最大手シン・グループを育て上げた。
 1995年に政界に転じ、1998年に政党を設立。地方、貧困層へのばらまき政策を掲げ2001年の総選挙で大勝し首相。2005年2月の総選挙も圧勝、首相に再選されたが、2006年9月の軍事クーデターで失脚し、公職追放処分を受けた。2007年末の総選挙でタクシン派が勝利したため、2008年2月に帰国。8月に出国し、不在中の10月、首相在任中に妻が国有地を競売で購入したことで懲役2年の実刑判決を受けた。その後はタイに帰国せず、主にドバイに滞在している。
 タクシン派与党は2008年12月に選挙違反で解党され、これに伴い、タクシン派政権からネーウィン元首相府相派と中小連立4党が野党・民主党に寝返り、民主党連立政権が誕生した。
 チナワット家のタイ国内の資産約760億バーツはクーデター後に凍結され、タイ最高裁が2010年2月26日、不正蓄財だとして、このうち464億バーツの国庫没収を命じた。
《newsclip》


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