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タクシン氏訪日 日本に複雑な視線

2011年8月29日(月) 00時49分(タイ時間)
【タイ】タイ政府広報局によると、22日から日本に滞在していたタクシン元首相(62)が28日、訪問を終え、出国した。マカオ経由で自宅があるドバイに向かう予定という。タクシン氏の訪日はタイのタクシン派新政権の日本重視の姿勢をアピールする狙いがあったとみられるが、タイ国内では様々な波紋を呼んだ。
 
 タクシン氏は2006年の軍事クーデターで失脚、国外滞在中の2008年に汚職で懲役2年の実刑判決を受け、以来、タイに帰国していない。日本の入管法では原則として入国が認められないが、タイのタクシン派新政権から要請を受けた日本政府がタクシン氏の入国を特別に許可した。

 タクシン氏は日本滞在中、東日本大震災の被災地を視察し、義援金を贈ったほか、村井嘉浩宮城県知事らと会談。また、東京で自見庄三郎金融・郵政担当相や与野党の国会議員らと会談した。

 反タクシン派の前政権はタクシン氏を犯罪者として各国政府に身柄引き渡しを要求したが、タイと同じ東南アジア諸国連合(ASEAN)加盟国のブルネイ、カンボジアなどがタクシン氏の入国を認めるなど、なかなか協力を得られなかった。こうした中、タクシン派は今年7月の下院総選挙で過半数を制し政権に復帰、タクシン氏の妹のインラク氏(44)が首相、遠縁のスラポン氏が外相に就任し、タクシン氏は実質的な政権の最高実力者に返り咲いた。

 タイの首相は就任後、ASEAN諸国を訪問し、その後、日本や中国を訪れるのが慣例。タクシン氏はクーデター後の同氏に対する日本の対応に強い不満を抱いていたとされるが、新政権発足直後に「影の首相」である同氏が日本を訪れたことで、インラク政権と日本の関係構築に前向きなシグナルを送った格好だ。

 一方、タイ国内の反タクシン派はタクシン氏の訪日に強く反発した。18日には反タクシンの王党派市民団体メンバー数十人がバンコクの在タイ日本大使館前に集まり、タクシン氏に対する査証(ビザ)発給に抗議した。ビザ発給をめぐっては、枝野官房長官が「タイ政府の要請を受けた」と述べた一方、インラク首相は日本政府への働きかけを否定。スラポン外相は日本に要請したと述べた後、前言を翻し、反タクシン派が多いタイのメディア関係者の間では、嘘を言っているのは日本かタイかと話題になった。

 前政権与党のタイ民主党は「ビザを出す出さないは日本の権利」と対日関係に配慮しつつ、犯罪者であるタクシン氏に対するビザ発給を日本政府に働きかけたとして、スラポン外相の弾劾手続きを開始した。

〈タクシン・チナワット〉
 1949年、タイ北部チェンマイ生まれの客家系華人。中国名は丘達新。警察士官学校を卒業後、米国に国費留学し、刑法学博士号を取得。帰国後、警察に勤務するかたわら、官公庁へのコンピュータリース、不動産開発などを手がけ、1987年に警察中佐で退職。その後、携帯電話サービス、通信衛星などを展開するタイ通信最大手シン・グループを育て上げた。
 1995年に政界に転じ、1998年に政党を設立。地方、貧困層へのばらまき政策を掲げ2001年の総選挙で大勝し首相。2005年2月の総選挙も圧勝、首相に再選されたが、2006年9月の軍事クーデターで失脚し、公職追放処分を受けた。軍部はクーデターの理由に、タクシン氏のタイ王室軽視と汚職を挙げた。
 民政移管のため行われた2007年末の総選挙でタクシン派が勝利し、タクシン氏は2008年2月に帰国。8月に出国し、不在中の10月、首相在任中に当時の妻が国有地を競売で購入したことで懲役2年の実刑判決を受けた。その後はタイに帰国せず、主にドバイに滞在している。
 タクシン派与党は2008年12月に選挙違反で解党され、これに伴い、タクシン派政権からネーウィン元首相府相派と中小連立4党が野党・民主党に寝返り、反タクシン派アピシット民主党連立政権が発足した。
 チナワット家のタイ国内の資産約760億バーツはクーデター後、凍結され、タイ最高裁が2010年2月、不正蓄財だとして、このうち464億バーツの国庫没収を命じた。同年4、5月、タクシン派のデモ隊がバンコク都心部を占拠し、治安部隊との衝突で、91人が死亡、1400人以上が負傷。デモは最終的に武力鎮圧されたが、銃撃戦や放火でバンコク都内は大混乱に陥った。
 アピシット政権は翌2011年5月に下院を解散。7月の総選挙ではタクシン派政党プアタイが過半数を制して政権に復帰し、タクシン氏の妹のインラク氏が8月に首相に就任した。
《newsclip》


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