国王はオレンジ色と白のアロハシャツ姿で、愛犬のクントンデーンを従え、車椅子で移動。沿道では多くの市民がひざまずいて合掌礼した。
国王の3女のジュラポン王女は11日、国王が洪水の惨禍に心を痛め体調を崩したが、治療を受け回復したと話していた。
プミポン国王は体調を崩して2009年9月19日からシリラート病院に入院している。2011年5月には過剰な脳脊髄液(のうせきずいえき)を除去する手術を受けた。
〈プミポン・アドゥンヤデート国王〉
1927年、米国マサチューセッツ州ケンブリッジ生まれ。祖父はタイの現王朝の中興の祖である5代目チュラロンコン大王、父はチュラロンコン大王の数多い息子の1人だったマヒドン皇太子、母は中国系の一般女性。
タイの絶対王政を廃した1932年の立憲革命とその後の第2次世界大戦の影響で、1934年から1952年まで主にスイスに滞在し、同国のローザンヌ大学で政治学、法学などを学んだ。
スイスで共に暮らした兄が8代目の王に即位した直後に変死したため、1946年に9代目の王に即位。1950年にタイに本帰国し、戴冠式を行った。
国王はタイへの本帰国後、全国で多数の農業プロジェクトを手がけ、遠隔地の視察、低農薬農業や代替燃料の開発などに取り組んだ。「微笑みの国」と呼ばれるタイの国王でありながら、公の場ではほとんど笑顔を見せず、峻厳なイメージがある。一方、社会的弱者の救済に熱心とされ、国民からは「ポー(お父さん)」と呼ばれ、国父として深く敬愛されている。
王室の再興にも力を尽くし、王室儀礼・用語の復活、資金力回復を成し遂げた。米経済誌フォーブスによると、国王の推定資産は300億ドル(2010年)で、同誌の世界の王族資産番付で2008年から3連覇。英語の評伝が2冊あるが、いずれもタイでは発禁。
1950年に結婚した王族のシリキット王妃との間に、ワチラロンコン皇太子、ウボンラット王女、シリントン王女、ジュラポン王女の1男3女。
