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タクシン氏への恩赦なし PADは反対集会中止

2011年11月21日(月) 01時26分(タイ時間)
【タイ】汚職で懲役2年の実刑判決を受け国外逃亡中のタクシン元首相の恩赦をタクシン派の現政権が画策したとされる問題で、タクシン氏は20日、滞在先のドバイで声明を出し、恩赦を求めない考えを明らかにした。声明の発表から数時間後、プラチャー法相は記者団に対し、今年の恩赦がこれまで同様、麻薬犯と汚職犯を対象外とすることを確認した。

 タクシン氏は声明で、タクシン派と反タクシン派に分断された国民の和解を優先すべきだと主張。「政府が私を含め特定の個人にだけ利することをするとは考えていない」と述べ、自身の恩赦に反対する考えを示した。

 タクシン氏の恩赦が行われない見通しとなったことを受け、反タクシン派団体「民主主義のための市民同盟(PAD)」は20日、バンコクで21日に予定していた恩赦に反対する集会を中止すると発表した。PADは2008年にタクシン派政権の退陣を求めバンコクの2空港や首相府を占拠した団体。

 タイでは例年、プミポン国王の誕生日(12月5日)に恩赦を実施している。タクシン氏は12月12日にバンコクで行われる長女の結婚式に出席するため、妹のインラク首相らに自身の恩赦を急ぐよう指示したとみられ、国王に提出する恩赦勅令案の内容が15日の閣議で、タクシン氏を対象に含むよう変更されたと報じられた。こうした報道を受け、バンコクでは18日、タクシン氏の恩赦に反対する集会が開かれ、数百人が参加。大洪水の最中に自身の利益を優先させたとして、中間派からも反発が強まっていた。

〈タクシン・チナワット〉
 1949年、タイ北部チェンマイ生まれの客家系華人。中国名は丘達新。警察士官学校を卒業後、米国に国費留学し、刑法学博士号を取得。帰国後、警察に勤務するかたわら、官公庁へのコンピュータリース、不動産開発などを手がけ、1987年に警察中佐で退職。その後、携帯電話サービス、通信衛星などを展開するタイ通信最大手シン・グループを育て上げた。
 1995年に政界に転じ、1998年に政党を設立。地方、貧困層へのばらまき政策を掲げ2001年の総選挙で大勝し首相。2005年2月の総選挙も圧勝、首相に再選されたが、2006年9月の軍事クーデターで失脚し、公職追放処分を受けた。軍部はクーデターの理由に、タクシン氏のタイ王室軽視と汚職を挙げた。
 民政移管のため行われた2007年末の総選挙でタクシン派が勝利し、タクシン氏は2008年2月に帰国。8月に出国し、不在中の10月、首相在任中に当時の妻が国有地を競売で購入したことで懲役2年の実刑判決を受けた。その後はタイに帰国せず、主にドバイに滞在している。
 タクシン派与党は2008年12月に選挙違反で解党され、これに伴い、タクシン派政権からネーウィン元首相府相派と中小連立4党が野党・民主党に寝返り、反タクシン派アピシット民主党連立政権が発足した。
 チナワット家のタイ国内の資産約760億バーツはクーデター後、凍結され、タイ最高裁が2010年2月、不正蓄財だとして、このうち464億バーツの国庫没収を命じた。同年4、5月、タクシン派のデモ隊がバンコク都心部を占拠し、治安部隊との衝突で、91人が死亡、1400人以上が負傷。デモは最終的に武力鎮圧されたが、銃撃戦や放火でバンコク都内は大混乱に陥った。
 アピシット政権は翌2011年5月に下院を解散。7月の総選挙ではタクシン派政党プアタイが過半数を制して政権に復帰し、タクシン氏の妹のインラク氏が8月に首相に就任した。
《newsclip》


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