RSS

プレアビヒア遺跡へ タイ・カンボジア紛争最前線 

2011年12月27日(火) 21時49分(タイ時間)

〈newsclip2011年7月10日付209号掲載〉

【タイ、カンボジア】タイとカンボジアの国境線上にそびえ、2008年7月に世界遺産に申請・登録されたことを機に軍事衝突が発生、以後タイ側からの入域が禁止されているヒンドゥー教遺跡「プレアビヒア」。今年2月にも戦闘が再発し、タイ側は寺院手前数キロ地点まで立ち入り区域が拡大された。今回、外国人を含む民間人の参拝・観光を認めているカンボジア側から入域、前線を取材した。

車でのアクセス可能、急ピッチの舗装工事

 タイ東部サケーオ県アランヤプラテートで国境を越え、カンボジア側ポイペットへ。アンコールワット遺跡群で知られるシエムリアップまで車で2時間、進路を変えて北上しさらに4時間半で、プレアビヒアに辿り着いた。寺院手前数キロ地点の軍駐屯地で、外国人はパスポートを提示、入域許可を得る。身元調査や訪問理由の質問といったものはなく、手続きはいたってスムーズ。これまでの外国人訪問者の名前を見ると、1日4—5人は、訪れているようだった。敷地内には、カンボジア国旗、アセアン旗、ユネスコ旗、そして今回の紛争で監視団を派遣して仲介役となるはずの(アセアン議長国の)インドネシアの国旗が翻っていた。領有権を主張するカンボジアの、タイ以上に必死な姿が見てとれた。

 タイとカンボジアを隔てるダンレク山脈は、数百キロにわたる「絶壁」というイメージがあるが、実際には小高い山の連なり。カンボジア側から見上げるプレアビヒアが建つ山は(遺跡自体は樹木に隠れている)、標高600—700メートル。けもの道でもあれば十分に登っていける斜面だった。山の右手に、タイ側が支配する崖(パーモーイーデンという壁画がある辺り)が見えた。

 山の麓で乗用車を降り、小遣い稼ぎに励む地元住民のピックアップトラックに乗り換える。絶壁でないとはいえ、車で上るのは至難の業で、急ピッチで車道が建設されているものの、大部分が未舗装。雨が降ればぬかるむのは容易に想像でき、乗用車では上がっていけない。ただガタガタ揺られる相当な悪路ながらも、ピックアップトラックを降りたときには、すでに寺院の駐車場に到着していた。十数人のカンボジア兵が銃を手にして警戒していたが、真っ先に近づいてきたのは数少ない参拝客を待つタバコ売りの少女だった。

塹壕に隠された砲身、その先にはタイ領 

 駐車場から寺院まで、200—300メートルを歩く。右手に兵士たちが寝泊まりするテントや小屋、さらには塹壕が並んでいる。左手は雑草が茂る下り坂になったタイの暫定的な国境。数百メートル先にタイ軍兵士の姿が見えた。着用している黒い戦闘服は、主に国境地帯に展開するレンジャーと呼ばれる部隊のそれだ。

 道端に机が一つ添えられ、タイ側から飛んできたとされる砲弾の破片や銃の空薬きょうが並べられている。砲弾の破片は迫撃砲のそれがほとんど。空薬きょうは大小様々な種類が集められていたが、敵兵のそれを拾えるほどの白兵戦(接近戦)を演じたか否かは疑わしい。一見、兵士の寝床のような塹壕も、よく見ると口径10センチほどの砲身が隠されているのが分かる。砲身はほぼ北、タイ側のプレアビヒア手前600メートルの施設と駐車場に向いていた。その数キロ先には民間人の居住地域があるはずで、今年2月の戦闘で被害を受けたタイ側の集落は、ここからの砲撃の飛び火と想像できた。

丸腰の兵士たち、木陰には民間人の姿も

 タイ側はプレアビヒア一帯をカオプラウィハーン(プレアビヒアのタイ語名称)国立自然公園とし、寺院手前数キロの地点に公園入口を設けている。「入園料を取るためだけに公園にしていた」という悪評があり、外国人はここで200バーツを徴収される。実際に公園入口から寺院まで、見どころは何もない。

 2008年の両国軍の衝突以降、公園だけは一時的に開放されたが今年2月の戦闘再発で、再び閉鎖され、現在はメディアを含めて民間人は公園入口から先には入れない。今年5月にある理由で寺院手前600メートルまで近づいたことがあったが、警備の兵士が1人、カンボジアの大地を見下ろしているだけの、最前線とは思えない異様に静かな光景だった。ただ、2008年に取材したときにはなかった塹壕がそこら中に掘られており、戦闘の激しさが想像できた。

 一方、カンボジア側はいたってのどかな風景だ。兵士はざっと見る限り100人。停戦しているだけで戦時下にあることは変わりないが、銃をもたずにのんびりしている兵士を見ていると、すぐに戦闘が起こる気配は感じられない。

 民間人も多い。タバコ売りの女性は、我々にチラっとタバコを見せるだけで、積極さは皆無。そのほか、何をしているのか分からない、ただ木陰で涼んでいるだけの民間人が十数人いた。カンボジアは内戦があったころより、家族連れで戦地に赴く兵士が多かったといわれている。プレアビヒアにいる民間人も、何人かは兵士の家族と思われた。

 境内を歩いていると、幹部らしき兵士が「どこから来た?」と英語で声をかけてきた。タイ人は近づくのが禁止されており、逮捕の可能性もあるようだった。

 プレアビヒアを見て回るのには、数人のカンボジア兵の案内がついた。寺院の説明が目的でもあり、勝手に行動させないためでもあり、チップ欲しさもある。

 寺院は北から南にほぼ一直線、両わきにナーガが構える参道から幾つかの楼門を経て、南端の本殿まで800メートルの長さで残っている。その一つの楼門で近づいてきた兵士が、「タイ側からの砲撃で損傷した」と、柱を指さした。傷は確かに新しい。参道の石畳やわきの土の部分など、砲撃の跡と思われる損傷が3—4カ所あった。

 兵士は英語がほとんどできなかったが、タイ語が話せた。かなり流ちょうだったので理由を聞いてみると、タイに出稼ぎに行き、「チョンブリでサトウキビを刈っていた」という。左の腕には、フアチャイ(ハート)というタイ語と、矢で仕留められたハートマークという、下手な刺青。「好きな女がいて、タイで彫ったんだ」と照れていた(左上の写真)。タイとの国境紛争の地で、あからさまにタイ語が話せないため、彼とは終始ヒソヒソと言葉を交わしていた。しかし、平時はタイ軍兵士とクメール語もしくはタイ語で世間話をする土地柄、周囲の兵士はタイ語を耳にしてもさほど気に留めていなかった。

 南端の本殿は上部が崩壊、瓦礫の山となっている。ここで兵士が数人、ほかでは聞いたことがない縁起を話し始めた。「14世紀、当時のタイが本殿に綱を巻き、ゾウに引っ張らせて崩した」というものだ。地元に残る言い伝えなのか、それとも軍がねつ造した説なのか判断はつかなかったが、カンボジア兵の手前、素直にうなづいておいた。

国境となる山脈と大地を見下ろす

 プレアビヒアの東端からタイとカンボジアを隔てるダンレク山脈とカンボジアの大地を見下ろしてみる。国境は大部分が連なる山々の稜線に沿って引かれている。タイではとかく、絶壁の上がタイ、下がカンボジア、というイメージだが、実はなだらかな山の連なりということがよく分かる。タイ領土も当然、山頂をピークに標高を下げており、決して絶壁の上がタイという地形ではない(1面左の写真)。

 国境は正式には、稜線ではなく分水嶺に沿っているとされる。山々の山頂はほとんどがタイ領だが、プレアビヒアのように山頂でありながらカンボジア領とみなされる地域がある。プレアビヒア周辺は4・6平方キロメートルが国境未画定地域として争われているが、西に60キロほど行ったアンロンベン近くの国境地域は山頂がカンボジアの固有の領土とみなされている。領有権を主張するカンボジアも正当と思われる。しかしその一方で、なだらかな山とはいえ、プレアビヒア周辺は絶壁と呼んで差し支えない地形であり、タイ側の主張も正しいと思われる。

領有権にとどまらない問題

 タイは1962年の国際司法裁判所の判決に対して不服を表明、その後も領有権を主張していくとしながらも、(プレアビヒアと接する)シーサケート県から東のスリン県にかけての国境未画定地域でカンボジアと共同管理を続けてきた。プレアビヒアに関しては、紛争による幾度かの閉鎖はあったものの、原則カンボジア領として参拝客の越境を認めてきた。

 今回の3年に及ぶ紛争は、タイの政争が火種となっている。2008年、タイのタクシン元首相派政府がカンボジアによるプレアビヒアの世界遺産申請を支持すると表明、反タクシン派が異議を唱えたのが始まりだ。同年7月、プレアビヒアが世界遺産に登録されると、それに抗議するタイ人が越境、カンボジア軍に拘束され、タイ軍がただちに動いて軍事衝突に発展していった。見た目どおりの国境紛争であることは確かだが、タイ国内の政情不安が多分に反映されているのも事実だ。

 問題解決は両国の歩み寄りだけで達成できるものではない。タイ国内の政情安定も不可欠となろう。

〈プレアビヒア〉

 クメール王国が9—11世紀に建立したとされ、タイとカンボジアが領有権を争った末、1962年に国際司法裁判所がカンボジア領とする判決を下し、2008年に国連教育科学文化機関(ユネスコ)の世界遺産に登録された。これを不満とするタイは2008年以降、周辺地域でカンボジアと武力衝突を繰り返し、今年2月と4月には両国軍が大砲、ロケット弾を撃ち合うなど本格的に交戦した。この戦闘で双方の兵士、住民ら30人近くが死亡、100人以上が負傷し、周辺地域の住民10万人以上が一時避難した。
《newsclip》

特集



新着PR情報