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タイ和解法案の先行きは? カギ握る2人のソンティ氏

2012年5月28日(月) 14時35分(タイ時間)
【タイ】タクシン元首相の帰国への道筋をつける「国家和解法案」を提出したソンティ・ブンヤラカリン元陸軍司令官は1946年生まれのイスラム教徒だ。

 陸軍士官学校を卒業して任官し、2005年、タイ軍の実力トップである陸軍司令官にイスラム教徒として初めて就任した。当時、軍の掌握を図るタクシン首相は、軍に強い影響力を持つプミポン国王側近のプレム枢密院議長(元首相、元陸軍司令官)と対立を深めていた。ソンティ司令官は首相が外遊中の2006年9月19日、陸軍部隊をバンコクに送り込み、首相府やテレビ局などを制圧し、憲法を停止して全権を掌握。同日中にプレム議長同席のもと、プミポン国王夫妻に面会し、軍事政権を樹立した。その後、元上司であるスラユット枢密顧問官(元陸軍司令官)を首相に据えて自らは表舞台から徐々に身を引き、翌年、陸軍を定年退官した。以降、目立った動きを見せていなかったが、2011年の下院総選挙にイスラム系小政党の党首として出馬し、当選。タクシン派が多数を占める下院で、タクシン派と反タクシン派の和解を模索する国家和解検討委員会の委員長に就任し、世間を驚かせた。

 ソンティ氏がタクシン氏に利する法案をまとめ、国会に提出した真意は不明。ソンティ氏が軍を退官した後、短期間軍政トップを務めたチャリット元空軍司令官は2011年5月、枢密顧問官に任命されている。

 一方、「和解法案」反対ののろしを上げた市民団体「民主主義のための市民同盟(PAD)」の創設者、ソンティ・リムトーンクーン氏は中国国民党系の移民2世で、1947年生まれ。大手新聞社マネジャー・メディア・グループ(MGR)を創業し、1990年代に携帯電話、通信衛星へと事業拡大を図ったが、1997年のアジア経済危機で経営が破たんした。2001年の下院総選挙では自社メディアを動員し、実業家仲間で年も近いタクシン氏を支持。タクシン政権発足後はMGRに対する国営クルンタイ銀行(KTB)の債権放棄などで恩恵を受けた。しかし2005年に突如タクシン政権打倒を掲げ、PADを設立。タクシン氏を王室廃止を狙う腐敗政治家と糾弾して反タクシン感情をあおり、一大ムーブメントを巻き起こした。

 PADの活動は成功を収めたが、MGRは経営再建に失敗し、2008年に裁判所が破産を宣告した。傘下の新聞、雑誌、衛星テレビ局はその後、スタッフごとPAD系の別会社に移動し、事業を続けている。ただ、新会社でもここのところ、給料遅配が起きているという。

 ソンティ氏はMGRの経営状況を偽りKTBから約11億バーツの融資を受けたとして証券取引法違反に問われ、今年2月、一審のタイ刑事裁判所で懲役20年の実刑判決を受けた。即日控訴し、同日保釈されたが、ほかにもPADによる2008年の空港占拠の損害賠償、名誉棄損などの裁判を抱えている。

 昨年1月にはソンティ氏とタクシン氏がクウェートで密談したという消息筋情報がタイ字紙で報じられたが、ソンティ氏は否定した。

 「金」と「法律」のトラブルが目立つソンティ氏だが、PAD支持者には「王室の守護者」として高い人気を誇る。ただ、国民の多くは度重なる街頭デモに嫌気が差しているとみられ、「和解法案反対」「タクシン氏の帰国反対」でどれだけデモ参加者を集められるかは不透明だ。
《newsclip》


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