タクシン元首相が創設したタイラックタイは2001年から政権を担当し、2005年の総選挙では下院議席の3分の2を占める圧勝を収めた。しかし、2006年9月、タクシン氏の権力拡大を危ぐする特権階級が軍事クーデターで政権から追放。翌2007年、タイラックタイは特別法廷で解党され、役員全員の参政権が5年間停止された。
ジャトゥロン元党首代行は式典での演説で、軍事政権による憲法や参政権停止などが現在も有効なことに不満を示し、真の民主主義に向け、不公正な司法制度を改める必要があると主張した。
国外逃亡中のタクシン元首相はビデオ電話で参加し、元役員に犠牲に対する感謝と謝罪を伝えた。そして、「選挙を何度やっても我々が勝つ」「過去の苦痛を忘れ、前進しよう」と呼びかけた。
昨年7月の総選挙では3代目のタクシン派政党であるプアタイが過半数を制し、タクシン氏の妹のインラク氏が首相に就いた。人材払底気味のプアタイに比べ、30日の式典に出た57人には派閥領袖クラスの大物政治家が多く、プアタイはこうした大物を閣僚や党幹部として迎えるとみられている。
一方、タイラックタイ元役員の1人であるタマラック元国防相は同日、2006年4月の下院総選挙で選挙委員会の職員を買収し、選挙委データベースの改ざんを図ったとして、刑事裁判所から懲役3年4カ月の実刑判決を受けた。タマラック氏は即日控訴し、保釈保証金50万バーツで保釈された。
タイラックタイ政権は2006年、反タクシン派市民によるバンコクでの大規模デモを受け、解散総選挙に踏み切り、前年同様、大勝を収めた。しかし、野党民主党が選挙をボイコットした上、裁判所が技術的な問題を理由に選挙を無効とし、混乱が深まった。こうした状況の中、当時のタクシン首相は長期間の外遊に出発し、その間に軍事クーデターがぼっ発した。


タマラック元国防相