RSS

タクシン氏、香港で63歳に 4年連続で国外で誕生日

2012年7月26日(木) 10時35分(タイ時間)
【タイ】国外逃亡中のタクシン元タイ首相は26日、63歳の誕生日を香港で迎える。妹のインラク首相らを通じ、政権を事実上操っているものの、反タクシン派の抵抗で帰国のめどは立っておらず、4年連続して国外で誕生日を迎えることになった。

 香港のタクシン氏のもとには、家族のほか、タクシン派与党プアタイの政治家らが押し寄せ、猟官運動を繰り広げているという。元義兄のプリアオパン警察長官も香港を訪れたと報じられ、現職の警察トップが汚職で有罪判決を受けたタクシン氏と会ったとして、反タクシン派が批判した。プリアオパン長官に関しては、9月末に定年退官した後、入閣するといううわさが広がっている。

 タクシン氏の現在の懸案は、同氏の免罪を軸とする国家和解法案と、タクシン派勢力の立法、司法からの排除を狙った憲法改正だが、どちらも先行きは厳しい。和解法案に関しては、法案に反対する反タクシン派市民団体が街頭デモを予告。野党民主党も徹底抗戦の構えだ。改憲に関しては、憲法裁判所が今月、全面改正には国民投票が必要との判断を下し、道のりが困難となった。

 タクシン氏に近いチャルーム副首相は改憲について、国民投票が不要な、国会での条項ごとの改正を進めるべきという考えを示している。具体的な変更点としては、▽約半数が任命制となっている上院の全議員公選制への移行▽オンブズマンの廃止▽憲法裁判所、行政裁判所の事実上の廃止▽選挙委員会の権限縮小▽選挙委員会と国家汚職防止撲滅委員会の委員の下院での選出——などを挙げた。いずれも2007年の軍事政権下で制定された現憲法に盛り込まれている特権階級の権力維持の仕組みを壊すもので、反タクシン派の中核である特権階級の反発は必至だ。

 こうした中、タイ検察庁はタクシン政権時代に行われた国営クルンタイ銀行による不正融資疑惑でタクシン氏、クルンタイ銀のウィロート元社長ら27人を起訴し、25日、最高裁判所が受理した。2006年に開港したバンコク郊外のスワンナプーム空港の周辺の土地を、当時債務不履行に陥っていた不動産会社がクルンタイから融資を受け、開港前に買い漁ったというもので、タクシン氏は汚職、権力乱用の罪に問われている。

〈タクシン・チナワット〉
 1949年、タイ北部チェンマイ生まれの客家系華人。中国名は丘達新。警察士官学校を卒業後、米国に国費留学し、刑法学博士号を取得。帰国後、警察に勤務するかたわら、官公庁へのコンピュータリース、不動産開発などを手がけ、1987年に警察中佐で退職。その後、携帯電話サービス、通信衛星などを展開するタイ通信最大手シン・グループを育て上げた。
 1995年に政界に転じ、1998年に政党を設立。地方、貧困層へのばらまき政策を掲げ2001年の総選挙で大勝し首相。2005年2月の総選挙も圧勝、首相に再選されたが、2006年9月の軍事クーデターで失脚し、公職追放処分を受けた。軍部はクーデターの理由に、タクシン氏のタイ王室軽視と汚職を挙げた。
 民政移管のため行われた2007年末の総選挙でタクシン派が勝利し、タクシン氏は2008年2月に帰国。8月に出国し、不在中の10月、首相在任中に当時の妻が国有地を競売で購入したことで懲役2年の実刑判決を受けた。その後はタイに帰国せず、主にドバイに滞在している。
 タクシン派与党は2008年12月に選挙違反で解党され、これに伴い、タクシン派政権から一部派閥と中小連立4党が野党・民主党に寝返り、反タクシン派アピシット民主党連立政権が発足した。
 チナワット家のタイ国内の資産約760億バーツはクーデター後、凍結され、タイ最高裁が2010年2月、不正蓄財だとして、このうち464億バーツの国庫没収を命じた。同年4、5月、タクシン派のデモ隊がバンコク都心部を占拠し、治安部隊との衝突で、91人が死亡、1400人以上が負傷。デモは最終的に武力鎮圧されたが、銃撃戦や放火でバンコク都内は大混乱に陥った。
 アピシット政権は翌2011年5月に下院を解散。同年7月の総選挙ではタクシン派政党プアタイが過半数を制して政権に復帰し、タクシン氏の妹のインラク氏が8月に首相に就任した。
《newsclip》


新着PR情報