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タイ国王誕生日、一般参賀に十数万人

2012年12月6日(木) 00時41分(タイ時間)
【タイ】タイのプミポン国王は5日、85歳の誕生日を迎え、バンコク都内のアナンタサマーコム宮殿のベランダで政府高官や一般国民らの祝賀を受けた。宮殿前のラマ5世騎馬像前広場は国王の誕生日の色である黄色の服を着た十万人以上の国民で埋め尽くされ、感極まって涙を流す女性も多く見られた。

 国王はワチラロンコン皇太子、インラク首相、ソムサック国会議長、パイロート最高裁判所長官、タナサク国軍最高司令官の祝辞を聞いた後、5分ほど演説し、集まった国民に感謝の意を伝え、「善意、親切さ、連帯感を見て、誇りに思い、元気がわいた」「互いに思いやりの心を失わなければ、どのような状況にあっても、国家は無事であろうと希望が持てる」と述べた。

 ベランダには皇太子、シリントン王女ら国王の4人の子どもと、皇太子妃、皇太子の子息らが姿をみせた。バンコク都内の国立シリラート病院に入院中のシリキット王妃(80)は体調不良のため欠席した。

 国王がアナンタサマーコム宮殿のベランダで国民の祝賀を受けるのは即位60周年だった2006年以来。

 国王は2009年9月からシリラート病院に長期入院中で、外出の際は車椅子を使用している。5日も式典後、シリラート病院に戻った。

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写真提供、タイ宮内庁

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写真撮影、ニュースクリップ


〈プミポン・アドゥンヤデート国王〉
 1927年、米国マサチューセッツ州ケンブリッジ生まれ。祖父はタイの現王朝の中興の祖である5代目チュラロンコン大王、父はチュラロンコン大王の数多い息子の1人だったマヒドン皇太子、母は中国系の一般女性。

 タイの絶対王政を廃した1932年の立憲革命とその後の第2次世界大戦の影響で、1934年から1952年まで主にスイスに滞在し、同国のローザンヌ大学で政治学、法学などを学んだ。スイスで共に暮らした兄が8代目の王に即位した直後に変死したため、1946年に9代目の王に即位。1950年にタイで戴冠式を行った。

 タイへの本帰国後、全国で多数の農業プロジェクトを手がけ、遠隔地の視察、低農薬農業や代替燃料の開発などに取り組んだ。「微笑みの国」と呼ばれるタイの国王でありながら、公の場ではほとんど笑顔を見せず、峻厳なイメージがある。一方、社会的弱者の救済に熱心とされ、国民からは「ポー(お父さん)」と呼ばれ、国父として深く敬愛されている。

 王室の再興にも力を尽くし、王室儀礼・用語の復活、資金力回復を成し遂げた。米経済誌フォーブスによると、国王の推定資産は300億ドル(2010年)で、同誌の世界の王族資産番付で2008年から3連覇。英語の評伝が2冊あるが、いずれもタイでは発禁。

 1950年に結婚した王族のシリキット王妃との間に、ワチラロンコン皇太子、ウボンラット王女、シリントン王女、ジュラポン王女の1男3女。

 国王は2009年9月からバンコク都内のシリラート病院に長期入院中。公の場に出るときは車椅子で、2011年5月には過剰な脳脊髄液(のうせきずいえき)を除去する手術を受けた。
《newsclip》


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