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反タクシン派新聞がタイ陸軍司令官批判、兵士数十人が抗議

2013年1月14日(月) 01時40分(タイ時間)
【タイ】バンコクでの2006年の街頭デモや2008年のタイ首相府と2空港占拠といった過激なデモで知られる反タクシン元首相派団体「民主主義のための市民同盟(PAD)」系列の新聞ASTVプージャッカーンがプラユット陸軍司令官を批判する記事を掲載し、これに抗議する軍服姿の兵士数十人が11日と12日、バンコク都内のASTVプージャッカーン事務所前に集まり、同紙に謝罪を要求した。

 プラユット司令官は12日、兵士に謝意を示す一方、抗議集会を中止するよう指示した。

 一方、タイ・ジャーナリスト協会は12日、軍に対し、報道の自由を尊重し、報道機関に対する脅迫を止めるよう要求。プラユット司令官は自身や軍の仕事ぶりへの報道機関の評価に耳を傾けるべきだと主張した。

 ASTVプージャッカーンは、タイとカンボジアの国境紛争と、タイ深南部のマレー系イスラム過激派によるテロについて、プラユット司令官が領土、国益を守っていないと批判した。国境紛争はカンボジアの世界遺産である山上遺跡プレアビヒア周辺の土地をめぐるもので、国際司法裁判所で4月に審問が行われ、年内に判決が出る見込み。今月に入り、タイのスラポン外相が裁判の先行きに悲観的な見通しを示し、国内の保守派が判決を受け入れないよう政府に求めるなど、波紋が広がっている。

 PADとASTVプージャッカーンはともに実業家のソンティ・リムトンクン氏が創設した。PADは2006年以降、軍によるタクシン元首相派の追放を訴え、軍は2006年の軍事クーデターでタクシン政権を崩壊させた上、2008年には軍基地内に有力政治家を集め、反タクシン派政権発足のお膳立てをした。こうした経緯から、軍主流派とPADはこれまで、同盟関係にあるとみられてきた。しかし、反タクシン派の勢力減退にともない、軍がタクシン派との協調路線に転じ、両者の間に溝が生じたもよう。

〈民主主義のための市民同盟(PAD)〉
 タクシン政権(2001—2006年)当時の2005年に中国系2世のタイ人実業家ソンティ氏が設立。タクシン氏の王室への不敬、汚職疑惑などを追及し、2006年に数万人規模の街頭デモをバンコクで連続開催、政治機能を麻ひさせ、同年9月の軍事クーデターによるタクシン政権追放を呼び込んだ。
 2007年末の総選挙でタクシン派が政権に復帰したことから活動を再開し、2008年8月から同年12月まで首相官邸にあたるタイ首相府を数千人で占拠。11月下旬からバンコクの2空港も占拠し、タイの空路交通を遮断した。空港占拠中の12月に憲法裁判所がタクシン派与党を解党、反タクシン派の民主党を中心とするアピシット政権が発足したことから活動を停止した。
 2011年になり、カンボジアとの国境紛争への対応などを口実にアピシット政権への対立姿勢を明確にし、同年1月下旬からタイ首相府前で座り込みの反政府デモを開始。2008年同様、クーデターによる政権打倒を支持するなど、一部特権階級の代弁者的な主張を行った。同年7月の総選挙では投票ボイコットを呼びかけた。
 2011年8月にタクシン派インラク政権が発足してからは目立った動きを見せていなかったが、タクシン派が2007年に軍事政権が制定した憲法の改正に動き出したことから、2012年5、6月に国会議事堂前でデモを行った。
 PADはタクシン氏の権力拡大や民主主義の浸透を危ぐした特権階級の影響下にあるとみられる。タイ王室の支持を受けていると主張し、シンボルカラーはプミポン国王の誕生日の色である黄色。2008年10月にPADのデモ隊が国会議事堂周辺で警官隊と衝突し、支持者の女性が死亡した際には、シリキット王妃が葬儀を主宰した。


〈プレアビヒア〉
 クメール王国が9—11世紀に建立したとされる山上遺跡。タイとカンボジアが領有権を争い、1962年に国際司法裁判所がカンボジア領とする判決を下した。国際司法裁は周辺地域の領有権については判断を示さず、国境紛争の火種が残った。
 プレアビヒアは2008年、国連教育科学文化機関(ユネスコ)の世界遺産に登録されたが、これを機に、プレアビヒアの世界遺産共同登録・管理を主張していたタイが周辺地域で頻繁にカンボジアと武力衝突を起こすようになった。2011年には砲撃・銃撃戦で双方の兵士、住民ら30人近くが死亡、100人以上が負傷し、周辺地域の住民10万人以上が一時避難した。紛争激化を受け、カンボジアは同年4月、国際司法裁にプレアビヒア周辺の国境未画定地域の領有権に関する判断を求めた。
《newsclip》


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