RSS

反タクシン派団体幹部が一斉辞任 空港占拠など指揮

2013年8月26日(月) 17時16分(タイ時間)
ソンティ氏(右から2人目)とジャムロン氏(左端)の画像
ソンティ氏(右から2人目)とジャムロン氏(左端)
【タイ】2008年にタイ首相府やバンコクの2空港を占拠した反タクシン元首相派団体「民主主義のための市民同盟(PAD)」は23日、創設者で実業家のソンティ・リムトーンクーン氏、ジャムロン・シームアン元バンコク都知事ら幹部8人が辞任すると発表した。

 ソンティ氏らは辞任について、テロ容疑などで訴追されて裁判所命令でデモ参加が禁じられたことから、自由に活動できなくなったと説明。同じ反タクシン派陣営の野党民主党を、PADのように犠牲を払っていないとして強く批判し、民主党の下院議員は辞職して街頭デモに参加すべきなどと主張した。

 反タクシン派の中核である特権階級は、PADなど反タクシン派団体、軍、司法、民主党を軸にタクシン派と争ってきた。しかし、軍への影響力は低下がうわさされ、民主党は2001年以降3回の総選挙でいずれもタクシン派政党に大差で破れた。また、昨年後半にPADが活動停止状態になって以降、反タクシンの街頭デモの動員力は数百―1千人程度に落ち込んでいる。

 反タクシン派の力に衰えが見える中、タクシン派のインラク政権は、汚職で実刑判決を受けたタクシン元首相への恩赦法案の成立を図る一方、政治対立の解消を目指すとした政治フォーラムを25日から開催し、タクシン元首相の帰国、復権に向けた動きを強めている。

 こうした状況の中、PAD幹部が戦線を離脱し、しかもタクシン派ではなく民主党を強く批判したことは、タクシン派への側面援護となりそうだ。

 タイ字紙が消息筋情報として報じたところによると、ソンティ氏とタクシン元首相は2011年にクウェートで密談したとされる。ソンティ氏は密談を否定したが、その前後に、ソンティ氏が政治集会で「特権階級」を批判する発言を行った。


〈ソンティ・リムトーンクーン〉
 中国国民党系の移民2世で、1947年生まれ。大手新聞社マネジャー・メディア・グループ(MGR)を創業し、1990年代に携帯電話、通信衛星へと事業拡大を図ったが、1997年のアジア経済危機で経営が破たんした。2001年の下院総選挙では自社メディアを動員し、実業家仲間で年齢も近いタクシン氏を支持。タクシン政権発足後はMGRに対する国営クルンタイ銀行(KTB)の債権放棄などで恩恵を受けた。しかし2005年に突如タクシン政権打倒を掲げ、反タクシン派団体「民主主義のための市民同盟(PAD)」を設立。タクシン氏を王室廃止を狙う腐敗政治家と糾弾して反タクシン感情をあおり、一大ムーブメントを巻き起こした。

 PADの活動は成功を収めたが、MGRは経営再建に失敗し、2008年に裁判所が破産を宣告した。傘下の新聞、雑誌、衛星テレビ局はその後、スタッフごとPAD系の別会社に移動し、事業を続けている。新会社でも度々給料遅配が起きたが、資金繰りは徐々に改善した。経営再建の資金の出所については様々なうわさがある。

 ソンティ氏はMGRの経営状況を偽りKTBから約11億バーツの融資を受けたとして証券取引法違反に問われ、2012年、一審のタイ刑事裁判所で懲役20年の実刑判決を受けた。即日控訴し、保釈されたが、ほかにもPADによる2008年の空港占拠の損害賠償、名誉棄損などの裁判を抱えている。

 2011年にはソンティ氏とタクシン氏がクウェートで密談したという消息筋情報がタイ字紙で報じられたが、ソンティ氏は否定した。


〈民主主義のための市民同盟(PAD)〉
 タクシン政権(2001―2006年)当時の2005年に実業家のソンティ氏が設立。当初は小規模な反政府集会だったが、タクシン氏の王室に対する不敬、汚職疑惑などの追及とソンティ氏の巧みな話術で瞬く間に集会参加者を増やし、2006年には数万人規模の街頭デモをバンコクで連続開催、政治機能を麻ひさせ、同年9月の軍事クーデターによるタクシン政権追放を呼び込んだ。

 2007年末の民政移管選挙でタクシン派が政権に復帰すると、活動を再開。2008年8月から同年12月まで首相官邸にあたるタイ首相府を数千人で占拠。11月下旬からバンコクの2空港も占拠し、タイの空路交通を遮断した。空港占拠中の12月に憲法裁判所がタクシン派与党を解党、反タクシン派の民主党を中心とするアピシット政権が発足したことから活動を停止した。

 2011年になり、カンボジアとの国境紛争への対応などを口実にアピシット政権への対立姿勢を打ち出し、同年1月下旬からタイ首相府前で座り込みの反政府デモを開始。2008年同様、クーデターによる政権打倒を支持するなど、一部特権階級の代弁者的な主張を行った。同年7月の総選挙では投票ボイコットを呼びかけた。

 2011年8月にタクシン派インラク政権が発足してからは目立った動きを見せていなかったが、タクシン派が2007年に軍事政権が制定した憲法の改正に動き出したことから、2012年5、6月に国会議事堂前でデモを行った。

 PADはタクシン氏の権力拡大や民主主義の浸透を危ぐした特権階級の影響下にあるとみられる。タイ王室の支持を受けていると主張し、シンボルカラーはプミポン国王の誕生日の色である黄色。2008年10月にPADのデモ隊が国会議事堂周辺で警官隊と衝突し、支持者の女性が死亡した際には、シリキット王妃が葬儀を主宰した。
《newsclip》

注目ニュース

バンコクの反タクシン派デモ不発 解散・待機で衝突なしnewsclip

【タイ】7日の反タクシン元首相派によるデモは一部が治安当局による道路封鎖地点で解散、別の場所では人数が集まらず、不発に終わったもようだ。

バンコクで治安法解除 恩赦法案は第1読会通過newsclip

【タイ】インラク首相は8日、国会や首相府などがあるバンコク都内のドゥシット区、プラナコン区、ポープラープサットパーイ区の3区に発令した国内安全保障法を解除した。反政府デモ隊による国会乱入などの危険...

タクシン元首相と閣僚が密談? 音声ファイル流出でタイ政権に激震newsclip

【タイ】タクシン元首相とユタサク副国防相(元国防次官)とみられる人物がタクシン元首相への恩赦やタイ軍人事などについて話し合う音声ファイルがインターネットの動画投稿サイト「ユーチューブ」に投稿され、...

特集



新着PR情報