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クーデターから7年 タイ政治抗争の行方は

2013年9月20日(金) 03時19分(タイ時間)
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クーデターから7年 タイ政治抗争の行方は
タクシン元首相(右)とノパドン元外相
【タイ】タクシン政権を追放した2006年の軍事クーデターから19日で7年。タイ字紙最大手タイラットは国外逃亡中のタクシン元首相とテレビ電話でインタビューを行った。

 タクシン氏は「タイはクーデターで7年を無駄にした」として、クーデター後に軍事政権が制定した現行憲法の改正、政治抗争による受刑者や訴追されている人への恩赦などを主張した。恩赦で帰国できた場合、政治抗争集結の象徴として、タイ王室財産管理局顧問に就任するといううわさについては、「それについては内々で話し合った」と述べた。

 インターネット上で公開されたこのインタビューに対しては約6000人が投票し、49%が「好き」、51%が「好きではない」と答えた。 

 タイラットは反タクシン派の野党民主党の重鎮であるステープ元副首相のインタビューも行った。ステープ氏はタクシン元首相への不信感を露わにし、「タイの所有者は国民だ。(タクシン元首相の)チナワット家ではない」などと話した。

 2001年に発足したタクシン政権は低額医療制度の導入などで、それまで政治に無視されてきた中低所得者、地方住民の圧倒的な支持を受けた。自信を深めたタクシン氏は特権階級、軍、官僚、国営企業などの利権構造に切り込んだが、これに反発した特権階級はタクシン氏を反王室の腐敗政治家と糾弾し、軍事クーデターでタクシン政権を打倒した。

 タクシン派は2007年末の民政移管選挙で勝利し、政権に復帰。しかし、反タクシン派デモ隊による首相府やバンコクの2空港の占拠で追い込まれ、2008年末、裁判所命令で「選挙違反」により政権を失った。その直後、タクシン派から寝返った勢力と民主党の会合が軍基地内で持たれ、両者による新政権が発足した。

 タクシン派はこうした動きに対し、「特権階級が軍、司法を動かし、民主主義と法治をねじまげている」と主張し、2009年、2010年に反タクシン派政権打倒のデモを実施した。2010年にはデモ隊と治安部隊の衝突で91人が死亡、約2000人が負傷した。2011年の下院総選挙ではタクシン派が再び勝利し、タクシン氏の妹であるインラク氏が首相に就任、現在に至っている。

 タクシン派と反タクシン派の抗争は当初、新興財閥と既得権益層の権力闘争とみられたが、徐々に、階級闘争や、民主主義と権威主義の対決という色合いが強まった。ただ、不敬罪を使った言論弾圧が存在する上、論理的思考が苦手とされる国民性もあり、国民の間で問題の本質に関する議論、理解は深まらず、好き嫌いの感情論が幅を利かせている。

 政治の場では、反タクシン派は軍事クーデター、司法による政権打倒という禁じ手を使ったものの、選挙で勝てず、タクシン派の死命を制することに失敗した。反タクシン派の力の源泉である軍では、現状では時間が経てば経つほどタクシン派が有利という読みがあり、反タクシン派からタクシン派に乗り換える動きがみられる。

 ただ、タクシン氏を担いで従来の権力・利権構造を一部修正した上、維持するという方法も残されている。タクシン氏がタイ王室財産管理局顧問に就任すれば、こうした形が象徴的に示されることになる。


〈タクシン・チナワット〉
 1949年、タイ北部チェンマイ生まれの客家系華人。中国名は丘達新。警察士官学校を卒業後、米国に国費留学し、刑法学博士号を取得。帰国後、警察に勤務するかたわら、官公庁へのコンピュータリース、不動産開発などを手がけ、1987年に警察中佐で退職。その後、携帯電話サービス、通信衛星などを展開するタイ通信最大手シン・グループを育て上げた。
 1995年に政界に転じ、1998年に政党を設立。地方、貧困層へのばらまき政策を掲げ2001年の総選挙で大勝し首相。2005年2月の総選挙も圧勝、首相に再選されたが、2006年9月の軍事クーデターで失脚し、公職追放処分を受けた。軍部はクーデターの理由に、タクシン氏のタイ王室軽視と汚職を挙げた。
 民政移管のため行われた2007年末の総選挙でタクシン派が勝利し、タクシン氏は2008年2月に帰国。8月に出国し、不在中の10月、首相在任中に当時の妻が国有地を競売で購入したことで懲役2年の実刑判決を受けた。その後はタイに帰国せず、主にドバイに滞在している。
 タクシン派与党は2008年12月に選挙違反で解党され、これに伴い、タクシン派政権から一部派閥と中小連立4党が野党・民主党に寝返り、反タクシン派アピシット民主党連立政権が発足した。
 チナワット家のタイ国内の資産約760億バーツはクーデター後、凍結され、タイ最高裁が2010年2月、不正蓄財だとして、このうち464億バーツの国庫没収を命じた。同年4、5月、タクシン派のデモ隊がバンコク都心部を占拠し、治安部隊との衝突で、91人が死亡、約2000人が負傷。デモは最終的に武力鎮圧されたが、銃撃戦や放火でバンコク都内は大混乱に陥った。
 アピシット政権は翌2011年5月に下院を解散。同年7月の総選挙ではタクシン派政党プアタイが過半数を制して政権に復帰し、タクシン氏の妹のインラク氏が8月に首相に就任した。
《newsclip》

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