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タイ王党派PADのソンティ氏、不敬罪で禁錮2年

2013年10月2日(水) 02時23分(タイ時間)
ソンティ氏の画像
ソンティ氏
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ソンティ氏
【タイ】反タクシン元首相派団体「民主主義のための市民同盟(PAD)」の創設者で実業家のソンティ・リムトーンクーン氏が不敬罪に問われた裁判で、タイ控訴裁判所は1日、一審の無罪判決を覆し、禁錮2年の実刑を言い渡した。

 ソンティ氏は即日上告し、保釈保証金30万バーツを納め、保釈された。

 ソンティ氏は2008年7月、バンコクでPADの集会で演説した際に、タクシン派の女性が行った国王を批判する演説の一部を引用し、不敬罪に問われた。タクシン派の女性はその後、不敬罪で禁錮18年の実刑判決を受け、服役中。

 ソンティ氏は一審で無罪となったが、検察が控訴。控訴裁はソンティ氏が女性の演説の内容を繰り返す必要性はなかったとして、逆転有罪判決を下した。

 PADは反タクシン、王室守護という立場で、ソンティ氏が集会で国王批判演説の内容を繰り返したのは、反王室のイメージがあるタクシン派への敵がい心をあおることが狙いだったと、一般的にはみられている。ただ、不敬罪に問われた演説に不必要な「毒」がちらついていたという見方もあり、控訴審の逆転有罪判決は、こうした見方に与したともとれる。

 ソンティ氏は自ら創業した新聞社の経営状況を偽って国営銀行から約11億バーツの融資を受けたとして証券取引法違反に問われ、2012年、一審のタイ刑事裁判所で懲役20年の実刑判決を受けた。即日控訴し、保釈されたが、ほかにもPADによる2008年の空港占拠の損害賠償、名誉棄損などの裁判を抱えている。


〈ソンティ・リムトーンクーン〉
 中国国民党系の移民2世で、1947年生まれ。大手新聞社マネジャー・メディア・グループ(MGR)を創業し、1990年代に携帯電話、通信衛星へと事業拡大を図ったが、1997年のアジア経済危機で経営が破たんした。2001年の下院総選挙では自社メディアを動員し、実業家仲間で年齢も近いタクシン氏を支持。タクシン政権発足後はMGRに対する国営クルンタイ銀行(KTB)の債権放棄などで恩恵を受けた。しかし2005年に突如タクシン政権打倒を掲げ、反タクシン派団体「民主主義のための市民同盟(PAD)」を設立。タクシン氏を王室廃止を狙う腐敗政治家と糾弾して反タクシン感情をあおり、一大ムーブメントを巻き起こした。

 PADの活動は成功を収めたが、MGRは経営再建に失敗し、2008年に裁判所が破産を宣告した。傘下の新聞、雑誌、衛星テレビ局はその後、スタッフごとPAD系の別会社に移動し、事業を続けている。新会社でも度々給料遅配が起きたが、資金繰りは徐々に改善した。経営再建の資金の出所については様々なうわさがある。

 ソンティ氏はMGRの経営状況を偽りKTBから約11億バーツの融資を受けたとして証券取引法違反に問われ、2012年、一審のタイ刑事裁判所で懲役20年の実刑判決を受けた。即日控訴し、保釈されたが、ほかにもPADによる2008年の空港占拠の損害賠償、名誉棄損などの裁判を抱えている。

 2011年にはソンティ氏とタクシン氏がクウェートで密談したという消息筋情報がタイ字紙で報じられたが、ソンティ氏は否定した。



〈民主主義のための市民同盟(PAD)〉
 タクシン政権(2001―2006年)当時の2005年に実業家のソンティ氏が設立。当初は小規模な反政府集会だったが、タクシン氏の王室に対する不敬、汚職疑惑などの追及とソンティ氏の巧みな話術で瞬く間に集会参加者を増やし、2006年には数万人規模の街頭デモをバンコクで連続開催、政治機能を麻ひさせ、同年9月の軍事クーデターによるタクシン政権追放を呼び込んだ。

 2007年末の民政移管選挙でタクシン派が政権に復帰すると、活動を再開。2008年8月から同年12月まで首相官邸にあたるタイ首相府を数千人で占拠。11月下旬からバンコクの2空港も占拠し、タイの空路交通を遮断した。空港占拠中の12月に憲法裁判所がタクシン派与党を解党、反タクシン派の民主党を中心とするアピシット政権が発足したことから活動を停止した。

 2011年になり、カンボジアとの国境紛争への対応などを口実にアピシット政権への対立姿勢を打ち出し、同年1月下旬からタイ首相府前で座り込みの反政府デモを開始。2008年同様、クーデターによる政権打倒を支持するなど、一部特権階級の代弁者的な主張を行った。同年7月の総選挙では投票ボイコットを呼びかけた。

 2011年8月にタクシン派インラク政権が発足してからは目立った動きを見せていなかったが、タクシン派が2007年に軍事政権が制定した憲法の改正に動き出したことから、2012年5、6月に国会議事堂前でデモを行った。

 PADはタクシン氏の権力拡大や民主主義の浸透を危ぐした特権階級の影響下にあるとみられる。タイ王室の支持を受けていると主張し、シンボルカラーはプミポン国王の誕生日の色である黄色。2008年10月にPADのデモ隊が国会議事堂周辺で警官隊と衝突し、支持者の女性が死亡した際には、シリキット王妃が葬儀を主宰した。
《newsclip》

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