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タクシン元首相がフェイスブックに書き込み 空港建設資金巡る交渉で日本翻弄

2013年10月11日(金) 01時32分(タイ時間)
【タイ】タイのタクシン元首相は8日、インターネットの交流サイト、フェイスブックの自らのページに、「私と私の国(1)」と題した回顧録を書き込んだ。

 話の前半は2001年のスワンナプーム空港(バンコク空港)の建設をめぐる日本との交渉。当時首相に就任したばかりだったタクシン氏はスワンナプーム空港の旅客処理能力を当初の計画の年3500万人から4500万人に増やすため、設計をやり直すよう指示した。スワンナプーム空港の建設に円借款を供与する予定だった日本政府はこれに驚き、当時の駐タイ日本大使がタクシン氏のもとに駆けつけ、計画変更に強硬に反対したという。タクシン氏は大使は入札のやり直しで日本企業が外されることを恐れていると判断。日本政府が円借款を供与しないなら、タイ国内の国営銀行から資金を調達すればいいとして、計画変更を推し進めた。結果として、建設コストは大幅に下がり、日本大使はその後、円借款を使って欲しいと頼み込んできたという。タクシン氏はスワンナプーム空港の旅客数がすでに処理能力の限界に達していることも指摘し、自らの交渉術と先見の明をさり気なく誇示した。

 タクシン氏は中国滞在中の2008年に、タイで汚職で禁錮2年の実刑判決を受け、以来、タイに帰国していない。主にドバイに滞在しているが、フェイスブックへの書き込みによると、現在は北京に滞在し、中国政府要人との会合やゴルフで日を送っているようだ。


〈タクシン・チナワット〉
 1949年、タイ北部チェンマイ生まれの客家系華人。中国名は丘達新。警察士官学校を卒業後、米国に国費留学し、刑法学博士号を取得。帰国後、警察に勤務するかたわら、官公庁へのコンピュータリース、不動産開発などを手がけ、1987年に警察中佐で退職。その後、携帯電話サービス、通信衛星などを展開するタイ通信最大手シン・グループを育て上げた。
 1995年に政界に転じ、1998年に政党を設立。地方、貧困層へのばらまき政策を掲げ2001年の総選挙で大勝し首相。2005年2月の総選挙も圧勝、首相に再選されたが、2006年9月の軍事クーデターで失脚し、公職追放処分を受けた。軍部はクーデターの理由に、タクシン氏のタイ王室軽視と汚職を挙げた。
 民政移管のため行われた2007年末の総選挙でタクシン派が勝利し、タクシン氏は2008年2月に帰国。8月に出国し、不在中の10月、首相在任中に当時の妻が国有地を競売で購入したことで禁錮2年の実刑判決を受けた。その後はタイに帰国せず、主にドバイに滞在している。
 タクシン派与党は2008年12月に選挙違反で解党され、これに伴い、タクシン派政権から一部派閥と中小連立4党が野党・民主党に寝返り、反タクシン派アピシット民主党連立政権が発足した。
 チナワット家のタイ国内の資産約760億バーツはクーデター後、凍結され、タイ最高裁が2010年2月、不正蓄財だとして、このうち464億バーツの国庫没収を命じた。同年4、5月、タクシン派のデモ隊がバンコク都心部を占拠し、治安部隊との衝突で、91人が死亡、1400人以上が負傷。デモは最終的に武力鎮圧されたが、銃撃戦や放火でバンコク都内は大混乱に陥った。
 アピシット政権は翌2011年5月に下院を解散。同年7月の総選挙ではタクシン派政党プアタイが過半数を制して政権に復帰し、タクシン氏の妹のインラク氏が8月に首相に就任した。
《newsclip》

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