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省庁占拠でも警察動かず 不思議なバンコクのデモ

2013年11月29日(金) 04時56分(タイ時間)
政府総合庁舎を一部占拠したデモ隊(27日夜)の画像
政府総合庁舎を一部占拠したデモ隊(27日夜)
政府総合庁舎を一部占拠したデモ隊(27日夜)の画像
政府総合庁舎を一部占拠したデモ隊(27日夜)
政府総合庁舎を一部占拠したデモ隊(27日夜)の画像
政府総合庁舎を一部占拠したデモ隊(27日夜)
政府総合庁舎を一部占拠したデモ隊(27日夜)の画像
政府総合庁舎を一部占拠したデモ隊(27日夜)
デモ隊が占拠した財務省(28日朝)の画像
デモ隊が占拠した財務省(28日朝)
写真提供、Edward Mof
デモ隊が占拠した財務省(28日朝)の画像
デモ隊が占拠した財務省(28日朝)
写真提供、Edward Mof
デモ隊が占拠した財務省(28日朝)の画像
デモ隊が占拠した財務省(28日朝)
写真提供、Edward Mof
カンジャナブリ県の反政府デモ(27日)の画像
カンジャナブリ県の反政府デモ(27日)
写真提供、www.prdkanchanaburi.net
カンジャナブリ県の反政府デモ(27日)の画像
カンジャナブリ県の反政府デモ(27日)
写真提供、www.prdkanchanaburi.net
カンジャナブリ県の反政府デモ(27日)の画像
カンジャナブリ県の反政府デモ(27日)
写真提供、www.prdkanchanaburi.net
【タイ】反タクシン元首相派による反政府デモは、指導者のステープ元副首相が様々な職種の代表からなる「人民議会」に国権を委ねるという構想を打ち出して、政府との対話を拒否し、こう着状態が続いている。

 インラク首相は28日、テレビ演説を行い、プミポン国王の誕生日(12月5日)が迫っていると指摘し、反タクシン派に対し、デモを中止し、対話に応じるよう呼びかけた。「人民議会」構想については、憲法上認められないと一蹴した。

 ステープ元副首相はこれに対し、対話を拒否するとともに、インラク首相の辞任や下院解散では問題が解決しないと主張。デモで政府機能を麻ひさせた後、「人民議会」を設立し、タクシン元首相の影響力の完全排除を図るという戦略を改めて示した。

 野党民主党は同日、緊急会議を開き、反政府デモへの対応を協議した。前政権で自分が首相、党首、ステープ元副首相が治安担当の副首相、党幹事長という立場であったアピシット党首はステープ元副首相に同調して、党の下院議員を反政府集会に参加させる方針を決めた。民主党はステープ元副首相が繰り広げる「非民主的」で「非合法」の恐れがある活動に片足を突っ込んだ形だ。一方、アピシット政権で財務相を務めたコーン前民主党副党首はデモ隊による省庁占拠やステープ元副首相の構想を批判し、ステープ元副首相らとたもとを分かった。

 反政府デモ隊は28日、バンコク都内の民主記念塔での反政府集会と、財務省・予算庁の占拠、バンコク郊外の政府総合庁舎の一部占拠を継続するとともに、都内ラマ1世通りの警察本部、サナームチャイ通りの国防省などにデモ行進した。警察本部前には約3000人が詰めかけ、建物への電力供給を遮断するなどした。

 また、民主党の地盤である南部では、スラタニ県、ナコンシータマラート県、ラノン県、パタルン県の県庁が反政府デモで業務を中止した。東部ラヨン県、北部ピッサヌローク県、ウタラディット県、ピジット県、カンジャナブリ県などでも数百人規模の反政府デモがあった。

 反タクシン派、タクシン派の抗争は、経済格差、地域格差、教育問題、さらにはタクシン派の支持基盤である東北人への民族差別的な要素も含み、感情的なレベルの対立が深まっている。問題を整理分析して対応する理性的なアプローチはほとんど見られず、解決を難しくしている。

 特権階級とバンコクの中間層、南部が中心の反タクシン派にとって、インラク政権は反王室の汚職政治家であるタクシン元首相が「教育水準の低い東北人」を選挙で買収して発足した政権で、国を正しい方向に向かわせるためには、タクシン元首相と妹のインラク首相らの追放が必要となる。だが、選挙でタクシン派に勝てないため、軍事クーデターや憲法裁判所の判決といった非常手段に頼る傾向が強く、タクシン派に比べ「教養」があると自負する反タクシン派が民主主義の原則を否定し、前時代的な主張を繰り返すという矛盾に陥っている。

 一方、タイ東北部、北部の中低所得者が中心のタクシン派にとって、タクシン元首相は、これまで顧みられなかった地方、低所得者層に低額医療を行き渡らせ、農村・地方開発を進めた「民主主義のリーダー」。インラク政権は選挙で選ばれた正統な政権で、反タクシン派は軍事クーデターや裁判でタクシン派政権の転覆を繰り返す非民主的な勢力ということになる。ただ、タクシン元首相の存在、特にその反王室のイメージが、反タクシン派の生理的反発を招き、国の成長を阻害しているという面は否定しがたい。

 今回のデモは、選挙で選ばれた政権の転覆を図るだけでなく、国の制度そのものを変えようとする意図がみられる。通常であれば、デモ隊が財務省などの占拠に踏み切った時点で、警察が強制排除すべきであったろうが、タイでは軍・警察による暴徒のコントロールがうまくいった例がほとんどない。アピシット政権時の2010年には、バンコク都心を長期占拠したタクシン派デモ隊と治安部隊が衝突し、91人が死亡、約2000人が負傷するという惨事が起きた。また、軍の忠誠心がどちらに向いているかわからない現在の状況では、警察とデモ隊の衝突で多数の死傷者が出た場合、軍が治安維持を理由にクーデターに踏み切る可能性も排除できない。こうした経緯から、政府は強制排除に及び腰で、それを見越したデモ隊が省庁占拠を拡大し、政府機能が徐々に奪われていくという、傍から見れば不思議な事態が起きている。


〈タクシン・チナワット〉
 1949年、タイ北部チェンマイ生まれの客家系華人。中国名は丘達新。警察士官学校を卒業後、米国に国費留学し、刑法学博士号を取得。帰国後、警察に勤務するかたわら、官公庁へのコンピュータリース、不動産開発などを手がけ、1987年に警察中佐で退職。その後、携帯電話サービス、通信衛星などを展開するタイ通信最大手シン・グループを育て上げた。
 1995年に政界に転じ、1998年に政党を設立。地方、貧困層へのばらまき政策を掲げ2001年の総選挙で大勝し首相。2005年2月の総選挙も圧勝、首相に再選されたが、2006年9月の軍事クーデターで失脚し、公職追放処分を受けた。軍部はクーデターの理由に、タクシン氏のタイ王室軽視と汚職を挙げた。
 民政移管のため行われた2007年末の総選挙でタクシン派が勝利し、タクシン氏は2008年2月に帰国。8月に出国し、不在中の10月、首相在任中に当時の妻が国有地を競売で購入したことで禁錮2年の実刑判決を受けた。その後はタイに帰国せず、主にドバイに滞在している。
 タクシン派与党は2008年12月に選挙違反で解党され、これに伴い、タクシン派政権から一部派閥と中小連立4党が野党・民主党に寝返り、反タクシン派アピシット民主党連立政権が発足した。
 チナワット家のタイ国内の資産約760億バーツはクーデター後、凍結され、タイ最高裁が2010年2月、不正蓄財だとして、このうち464億バーツの国庫没収を命じた。同年4、5月、タクシン派のデモ隊がバンコク都心部を占拠し、治安部隊との衝突で、91人が死亡、1400人以上が負傷。デモは最終的に武力鎮圧されたが、銃撃戦や放火でバンコク都内は大混乱に陥った。
 アピシット政権は翌2011年5月に下院を解散。同年7月の総選挙ではタクシン派政党プアタイが過半数を制して政権に復帰し、タクシン氏の妹のインラク氏が8月に首相に就任した。
《newsclip》

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