【ミャンマー、タイ】頑なに閉ざしていた国境がついに開いた。タイからミャンマーへ陸路で入国し、そのまま旅行することが、外国人にも許可されたのだ。これを受けて昨年8月のオープン以来、国境経済は活性化しているらしい。
「アジア最後のフロンティア」と評されるミャンマー。最大都市ヤンゴンと首都ネピドーばかりがクローズアップされるが、地方はどうなっているのか、開いたばかりの国境をくぐり、日本人がまだほとんど未踏の地を旅してみた。(文・写真、室橋裕和)
タイ北西部メーソート。今回4カ所オープンした国境の中では、最も経済活動が盛んな場所で、今後は両国経済の大動脈になることが期待されている。
アジア開発銀行によって唱えられた「大メコン圏構想」では、インドシナ東西回廊の拠点のひとつと位置づけられている街だ。国境を越えて生産・物流が機能するといわれる未来、タイとミャンマーの結節点として発展が見込まれている。
メーソートの東のタイ北部ピッサヌローク、タイ東北部コンケンなどでは、東西回廊の開発が活発化しはじめたことを受けて、幹線道路沿いの土地を中心に、地価の上昇が始まっている。オフィスビルやコンドミニアムを押さえる動きも出てきており、土地バブルになりつつあると言われている。
メーソートも、数年前に訪れたときより、活気があるように見えた。この街にはタイ側に住むミャンマー人や、難民を相手にする一大マーケットがあり、ミャンマーの食材や商品が山盛りになっているが、やはり目抜き通りを中心に地価が上がり、また新しいビルが増えているのだという。
街から西へ7キロ。バイクタクシーを駆って国境に向かう。タイを出国し、国境線となっているモエイ川を徒歩で越える。遠くにミャンマーの山々。滔々と流れる泥色した川。橋を根城にしていた物乞いたちはめっきり減っていた。
ミャンマー側の街ミャワディのイミグレーションには国境新オープンを祝す垂れ幕などが飾られており、本当に開いているんだと実感する。バンコクのミャンマー大使館で確認してはいたのだが、現地に行くと地元の役人にまで通達が届いておらず揉めるケースは発展途上国の場合よくあること。しかしこれなら大丈夫そうだ。
予想通りに、イミグレーションの係官は「ヤンゴンまで行くのかい? いまはもう外国人でもOKだよ」と笑顔。かつては、ここミャワディ限定の1日滞在しか許可されなかったのだが、確かに時代は変わったのだ。
念入りなビザのチェック。入国の書類を自ら書き込んでくれるやけに丁寧な係官たち。お茶まで出された。ミャワディの見どころ(寺しかない)、おいしいレストランなど、聞いてもいないのに教えてくれる。
「それで今日は泊まりだよな。ここを真っすぐ行って左手に大きいホテルがあるから……」
「いえ、できれば今日はモーラミャインまで行きたいんです。バスかなにかありますか?」
「ないよ。今日はすべて運休」
「えっ……」
聞けばこういうことであった。メーソートからの道は、すぐに険しい山岳コースに入る。道は狭く、未舗装で、湧水も多く、各所で道路が崩壊する危険がある。とても車両が行き違える余裕はない。そこでこのエリアでは、1日おきの一方通行が採用されているのだ。今日はミャワディに向かってくる車のみが通れる日なのだった。
仕方なくアドバイスに従ってホテルに泊まる。こんな辺境でもしっかりWIFIが入るのがありがたい。
翌朝。国境ゲートの前は昨日とは打って変わって、ジープやミニバンでぎっしり埋まっていた。屋台などもたくさん出ている。2日に1度の「ミャワディ発の日」は、ちょっとした高揚感に包まれているのだった。
「どこ行くんだい」
運転手や客引きから声がかかる。国境とあってタイ語が通じるので話がしやすい。何人かに聞いてみたが、モーラミャインまでは所要5―6時間、料金は乗り合い乗用車1万5000チャット、乗り合いバンが1万チャット。言うことはみな同じで、ボッている雰囲気はない。ちょうどよく助手席が空いていた乗用車があったので、これに乗り込むことにした。タイとは違って20年くらい前の型と思われるボロボロのセダンだが、贅沢はいえまい。
ミャワディを出る。すぐに軍の検問が待っていた。つい最近までここから先、外国人はオフリミットだった。なにか言われやしないか。身を固くしながら軍人にパスポートを見せる。中身も見ないまま彼はOKとあごで合図した。
肩の力が抜けた。本当に通過できるんだ……。安堵する間もなく、車は山岳地帯に入っていった。とたんに世界が変わる。道路から舗装が消えた。砂利道である。ところどころに山からの湧き水が流れ、ほとんど「沢」だ。激しい振動。通り過ぎる集落はカレン族のものだという。粗末な藁葺きの小屋が、ガタガタ道に沿っていくつも並ぶ。貧しい身なりの子供たち、険しい目つきの男たち。
この男たちが、各所で検問を張っているのだ。その都度、運転手はいくばくかの金を手渡す。どういう根拠で徴収しているのかは定かでないが「通行料」は村の貴重な収入源だという。男たちの中には、ライフルを背負っている者もいた。
このあたりでは、いまだ活動を続けている少数民族ゲリラがいる。陰に陽に彼らを支援している村もある。どこかキナ臭い検問により有無を言わさない資金調達をする村もある。軍事政権と停戦合意に至ったとはいえ、突発的な衝突が起こることもあり、まだ安心して旅ができる場所とは言いがたい。
その上この悪路。まともにスピードは出せない。道路を横切る滝や、泥沼に、たびたびつかまる。はるか彼方まで続く山岳ジャングルの景色はすばらしいが、車窓の数十センチ外は断崖絶壁なのである。そんな九十九折りが延々と続く。「東西回廊」なんて聞こえはいいが、この状態では物流の道として機能するまでに、まだ10年はかかる。ビジネスができるような環境ではない……などと考えつつ歯を食いしばって揺れに耐えていると、不意に視界が開けた。
ジャングルの緑が消えた。山肌にうごめく無数の重機。大規模な土木工事が行われていた。タイ政府の資金協力によって新しい道路の建設が進んでいるのだ。
「開通すれば片側通行もなくなる。おかしな通行料もいらなくなる」と運転手は言う。タイ政府の計画によれば開通は2015年。ミャワディからモーラミャインまで1―2時間で到着できるようになるという。もしこれが実現すれば、リードタイムは大きく短縮され、バンコク―ヤンゴン間の陸路輸送やミャンマー側での工場建設など、さまざまな可能性が広がる。
2015年はAEC(アセアン共同体)発足の年。関税の段階的撤廃などにより、インドシナ半島の緊密化、経済の活性化が予想される。これに合わせるように、急ピッチで工事をしているのだろう。
洗濯機に放り込まれたかのようなドライブは3時間ほど続いた。コーカレイの街が悪路の終点だ。ここで乗用車もバンもトラックも休憩し、足回りを洗い流し、人はミャンマー風の定食を食べ、お茶を飲んで休息することになっている。
コーカレイからは田園風景の中のなだらかな舗装された道を走り、さらに3時間ほどでモーラミャインに到着する。ミャンマー政府が深海港の建設を予定しているインドシナ東西回廊の西端。街を見下ろす丘の上に、いくつもの立派な仏教寺院が立ち並ぶ。かと思えば歴史ある荘厳な教会も多い。街角でチャイを売るインド風。食堂に行けば副菜コーナーに納豆。文化と宗教、人種の交差点たるミャンマーを、凝縮したような街であると思った。
近郊には、発展が見込まれそうな観光地がいくつもある。世界最大の寝釈迦仏(全長183メートル)などの仏像が立ち並ぶムドン。悪名高き泰緬鉄道ミャンマー側の起点タンビュッザヤには当時の車両が残っているほか、日本軍、連合軍の墓地がある。地元庶民が憩うサッセビーチでは、イカ焼きとビールでのんびりいきたい。
ここモーラミャイン周辺にも、日系の工場が建つ日がやがて来るのだろう。インドシナ各地で生産された部品がタイで組み立てられ、国境を越えて、モーラミャインからインド、中東へ。インド洋を渡って商圏は広がってゆく。
モーラミャインからバスで7時間ほど。ついにミャンマー最大都市ヤンゴンに到着する。なるほど確かに「アジア最後のフロンティア」に恥じないだけの活気に満ちている。林立しつつある建設中のビル群、前のめりに突っ走る人々……。このエネルギーの充満は、高度経済成長を迎えたばかりの頃のベトナムによく似ている。
日系企業は異様に多い。だがビジョンの見えない「とりあえず的」な進出が多すぎると、現地の日系コンサルは言う。
「『なんかよくわからんがミャンマーが熱いようなので、なんでもいいから現地事務所を作ってこい』っていうワンマン社長の命に従ってヤンゴンオフィスを作ったはいいけれど、具体的にどんな仕事をするんだろう……という中小企業はかなり多いようです。また、ヤンゴンに来たものの、未成熟なインフラを嫌って、カンボジアなどに転進する企業もこのところ増えています」
フロンティアはいいことばかりではないのだ。ヤンゴンを訪れた、また現地オフィスを構えた日本人のほぼすべてがこう言う。「10年早かった」と。
それでもヤンゴンの街を歩いていると、日本人の多さが目につく。海千山千の男たちから声をかけられたりもする。人種を問わず、ともかく一山、当ててやろうという熱気は、インドシナ半島で最も満ちているかもしれない。
前述したようにインフラは未整備だ。部品の現地調達もままならない。たまにテロも起きる。ネットは監視されている。まだまだ「これから」の国であることを、現地に行くと実感する。
が、それでも、なのだ。それでも勤勉な国民性、温厚な人柄、礼儀正しさ、豊かな読書量が培う人間性など、ミャンマーの人材を求める声は強い。東西回廊の開発によって、その声はますます大きくなっていくことだろう。
人件費の高騰と政治的リスクの高さによって叫ばれ始めた「タイ+1」。その候補として、ミャンマーはますます重要な位置を占めていくようになるはずだ。そんな隣国を取り込みつつ成長していく方策が、これからのタイ、そしてインドシナ諸国には求められるだろう。(文・写真、室橋裕和)
インドシナ東西回廊を行く タイからヤンゴンへ 山越えの悪路
2014年3月14日(金) 14時55分(タイ時間)
《newsclip》
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