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タイ国王がクーデター承認 公式面会なし、異例の展開

2014年5月26日(月) 23時50分(タイ時間)
【タイ】22日のクーデターで全権を掌握したプラユット陸軍司令官は26日、自らを首班とする軍事政権「国家平和治安維持委員会(NPOMC)」による統治について、プミポン国王の承認を得た。

 1970年代以降のタイのクーデターではプミポン国王の承認が得られるかどうかが成否を分けた。タクシン政権を追放した2006年のクーデターでは、ソンティ陸軍司令官(当時)がクーデター当日の夜、他の軍司令官、警察長官とともに国王夫妻に面会し、クーデターの承認を得た。プラユット司令官は今回のクーデター後、国王に公式に面会せず、クーデターの実施を書状で通知しただけだったもよう。こうした異例の対応は、王室を政治に巻き込まないための配慮とみられている。

 今回のクーデターは2006年と経緯が似ている。2006年のケースでは、反タクシン元首相派市民による大規模なデモを受け、タクシン首相(当時)が下院を解散、総選挙に踏み切った。しかし、反タクシン派の民主党が選挙をボイコットし、憲法裁判所が選挙結果を無効とする判決を下した。選挙管理内閣として権限を限定されたタクシン内閣は打つ手を失い、9月の長期外遊中にソンティ司令官によるクーデターが発生し、政権が崩壊した。

 ソンティ司令官はその後、国王の諮問機関である枢密院のスラユット顧問官(元陸軍司令官)を首相とする暫定政権と新憲法起草のための委員会を発足させ、暫定政権の後見人的な役目を果たした。2007年9月末で陸軍司令官を定年退官し、軍政トップの座からも降り、軍政トップはチャリット空軍司令官(当時)が引き継いだ。

 2006年のクーデターについては、タクシン派の一部から、プレム枢密院議長(元首相、元陸軍司令官)がソンティ司令官に命じて実行させたという見方が出ている。ソンティ氏は定年退官後、軍政がまだ続いていたにも関わらず、表舞台から姿を消し、2011年の下院選に、自身が信奉するイスラム教系の小政党の党首として出馬し当選。国会ではタクシン氏への恩赦を支持したり、クーデターに反対するなど、以前とは正反対の立場をとった。

 一方、チャリット空軍司令官は定年退官後の2011年、枢密顧問官に就任した。暫定首相を務めたスラユット氏は枢密顧問官に戻り、枢密院での序列は3位に上がっている。

 今回のクーデターは、反タクシン派デモを受け、タクシン氏の妹であるインラク首相(当時)が下院を解散、民主党が選挙をボイコットし、民主党系のデモ隊が投票を妨害、憲法裁が選挙無効の判断を下す、というあたりまでは2006年とほぼ同様の道筋をたどった。

 しかし、クーデターそのものをみると、2006年とは異なり、プラユット司令官が独自に決断、実行した可能性が高いようだ。プラユット司令官は今年9月末に定年退官するが、タクシン派対反タクシン派の抗争を自分の手で終結させる意思を示し、10月以降も軍政トップに居座る構えだ。

 2006年のクーデターでは反タクシン派の有力者グループがかなり詳細な計画を立てていたとみられ、クーデターから暫定政権発足、新憲法制定、2007年末の民政移管選挙までの日程が比較的早い段階で明らかにされ、ほぼ予定通り進んだ。プラユット司令官が今回、こうした後ろ盾や詳細な計画なしにクーデターに踏み切ったとすると、民政移管への道筋は、う余曲折が予想される。
《newsclip》

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