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「だから言っただろ」 タイ・クーデターの舞台裏は

2014年5月30日(金) 02時51分(タイ時間)
プラユット陸軍司令官の画像
プラユット陸軍司令官
【タイ】タイ字紙マティチョンが消息筋情報として、5月22日のクーデター当日の様子を伝えた。

 午後2時。長引く政治対立を収拾すべく、プラユット陸軍司令官が7者(タクシン元首相派政府、タクシン派与党プアタイ、タクシン派団体UDD、野党民主党、民主党系デモ隊PDRC、議会上院、選挙委員会)の代表を召集して開いた会議の2日目の話し合いが始まった。

 プラユット司令官は前日の会議で、選挙日程、政治改革、暫定政権の権限など5項目に関し、相手の主張にどこまで譲歩できるか検討しなさいという“宿題”を各派に課していた。この日は宿題の成果を持ち寄り、各派の妥協点・落としどころを探っていこうという算段である。

 先陣を切ったのはプアタイのワン・ムハマド・ノー・マター元副首相。「我々にできることは、閣僚全員に休暇をとるよう勧めることくらいだ」と発言した。これに対し、政府代表のチャイカセーム法相は、「暫定政権からの辞職は法に抵触し、後から訴えられる恐れがある。辞職はできない」と反対。民主党のアピシット党首は、過去にウィサヌ元副首相が暫定政権から辞職した例を引き合いに出して問題はないと発言したが、チャイカセーム法相は譲らなかった。

 続いてUDD初代会長のウィラカン氏が話し出した。「この話し合いはお互いの宗教心をぶつけ合うようなもの。(話が長くなるから)ござと枕を用意しないと。陸軍司令官が腰まで水に浸かって洪水対策に乗り出したのに、水はどんどん増えてくる。司令官、あなたが一言選挙をやれと声を上げれば、それですむのではないか?だれも司令官を責めたりしない」。

 UDDの長老の言葉に、司令官はやや気色ばんでこう切り返した。「宗教の話などここで持ち出さなくていい。泳ぎは達者なので、溺れる心配などしてもらわなくて結構。2010年の一件以来、私はそれなりに政治状況をきっちり観察してきた。当時は絶対的な権限がなかったが今は違う。私に立てつこうなどと思わない方がいい。60億バーツの話もただのうわさだ(タクシン元首相がプラユット司令官の中立を「買う」ために60億バーツを贈賄したといううわさ)。1バーツたりとももらっていない」。

 UDDのジャトゥポン会長が続けた。「今の状況ではどうしたって選挙はできない。選挙が先か改革が先か、国民投票に委ねるしかないのではないか」。

 さらに議論がしばらく続いた後、PDRC代表のステープ元副首相(元民主党幹事長)がこう言い出した。「これは政党の問題ではなく、我々PDRCとUDDの問題だ。当事者同士で話をつけよう」。

 アピシット党首は政府を加えて三者で協議をするよう進言したが、プラユット司令官は両派の直談判を認め、別室で協議が行われることになった。進言を無視されたアピシット党首が「あとは両派に任せて残りの者は解散してもいいのではないか」と提案したが、「結論が出るまではみなで話し合いを続ける」と却下された。

 待つこと約30分。プラユット司令官、UDD、PDRCの三者が会議室に戻り、司令官が協議の結果を伝えようとしたそのとき、ステープ元副首相が「ちょっと」と立ち上がり、司令官とジャトゥポン会長に何事かを耳打ちした。司令官はこう言った。「何でもない。トイレが使えないという話をしただけだ」。

 司令官はさらに政府代表団の方に向き直り、チャイカセーム法相にこう尋ねた。「いずれにせよ、辞職はできないということだな?」。「辞職はできない」。「ならば仕方がない。選挙委はもう選挙の話をする必要はないし、上院も憲法7条(憲法規定外の事態への対応)の議論をする必要はなかろう」。

 午後4時32分。プラユット司令官は椅子から立ち上がると、大きな声でこう言い放った。「申し訳ないが、これより私が全権を掌握させてもらう」。司令官がクーデターを宣言したそのとき、一部の参加者は冗談だと思ったようだ。司令官が「全員ここに残るように」と言い残して会議室を出て行った後で、事の重大さを悟ったようだ。しばらくし、完全武装した兵士がどやどやと会議室に現れ、参加者全員がグループごとに拘束された。興味深いのは、プアタイのプロームポン報道官がUDDと一緒に拘束されたこと、ウィラカン氏が笑みを浮かべつつも、愛用のステッキをうっかり椅子のところに置き忘れてしまったことだろう。

 「だから言ったじゃないか」。アピシット党首がワラテープ首相府相とチャチャート運輸相にこう言うと、チャチャート氏は青ざめた顔で「だから何なんだ?今さらそんなこと言ってどうなる?」と言い返した。

 軍は民主党とプアタイのメンバーを同じ部屋に拘束した。選挙委員と上院議員はすぐに解放された。


〈タイ政局の主な動き〉
■2001年
警察官僚から実業家を経て政界入りしたタクシン氏が率いる政党が議会下院選で勝利。タクシン氏が首相に。
■2005年
任期満了にともなう下院選でタクシン派政党が議席の75%を得て圧勝。タクシン首相が2期目。
■2006年
反タクシン派がバンコクで大規模なデモ。タクシン首相が下院を解散、総選挙に踏み切るが、民主党がボイコット。憲法裁判所が選挙無効の判決。9月に軍事クーデターが発生し、タクシン政権崩壊。
■2007年
軍事政権が民主主義を制限した新憲法を制定。民政移管のため実施された下院選で2代目タクシン派政党が勝利。タクシン派政権発足。
■2008年
反タクシン派デモ隊が首相府、スワンナプーム空港などを占拠。最高裁判所が選挙違反でタクシン派政党を解党し、政権崩壊。民主党を中心とするアピシット連立政権発足。
■2010年
バンコク都心を占拠したタクシン派デモ隊を軍が鎮圧。90人以上が死亡、約2000人が負傷。
■2011年
下院選で3代目タクシン派政党が勝利。タクシン氏の妹のインラク氏が首相に就任。
■2013年
インラク政権・与党がタクシン派と反タクシン派の政治抗争で投獄、訴追された人に包括的な恩赦を与える恩赦法案の成立を図る。10月、民主党が大規模な反政府デモ開始。12月、インラク首相が下院を解散。
■2014年
1月から反タクシン派デモ隊がバンコクの主要交差点を占拠。2月の議会下院選は民主党がボイコットした上、民主党系のデモ隊が投票を妨害し、3月に憲法裁が選挙無効の判決。5月7日、幹部官僚人事をめぐる職権乱用を理由に、憲法裁がインラク首相ら10閣僚を解任。5月20日、軍が戒厳令を布告し、実権を掌握。22日、クーデターを宣言し、インラク政権崩壊。
《newsclip》


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