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反タクシン派のソンティ氏、入獄19日で保釈

2014年8月27日(水) 00時34分(タイ時間)
刑務所に向かうソンティ氏(青いシャツの男性)(7日)の画像
刑務所に向かうソンティ氏(青いシャツの男性)(7日)
写真提供、Cathay Mee
【タイ】証券取引法違反で懲役20年の実刑判決を受け7日から収監されていた政治活動家、実業家のソンティ・リムトーンクン氏(66)が25日、保釈保証金1200万バーツで保釈された。ソンティ氏ほどの大物が一定期間保釈を見送られ、収監されるのは異例。

 ソンティ氏は経営破たんした新聞大手マネジャー・メディア・グループ(MGR)の創業者。判決によると、ソンティ氏は1997年、自分が経営する別の企業でMGRの大株主でもあるMグループがタイ国営クルンタイ銀行(KTB)から約11億バーツの融資を受ける際に、書類を偽造し、MGRが債務を保証すると偽った。債務保証の件はMGRの取締役会の承認を得ておらず、タイ証券取引所(SET)での情報開示もなかった。Mグループはその後、経営破たんし、MGRが負債を背負うこととなった。

 タイ証券取引委員会が2000年に告発し、2012年に一審で懲役20年の実刑判決を受けた。即日控訴し、1000万バーツの保釈保証金で保釈されたが、2014年、控訴裁判所が一審の判決を支持し、収監された。

 MGRは1983年創業。主力の経済紙「プージャッカーン」が1980年代の経済成長で部数を伸ばし、1990年にタイ証券取引所(SET)に上場した。その後、通信衛星、携帯電話サービス、英字紙へと事業展開を図ったが、急拡張と1997年のアジア経済危機で経営破たんし、1999年に会社更生法の適用を受けた。

 MGRは2001年の議会下院総選挙で、実業家のタクシン氏が創設した新党を全社を挙げ支援。同年、タクシン政権が発足すると、ソンティ氏と親しい銀行家のウィロート・ヌアンケー氏がKTBの社長になり、KTBはウィロート社長の下、MGRに対する債権16億バーツを放棄した。

 ソンティ氏はウィロート氏以外にも、タクシン政権の中枢に自らの人脈から人材を送り込んだが、2005年、突如としてタクシン政権を徹底的に批判するようになり、反タクシン派団体「民主主義のための市民同盟(PAD)」を創設した。2006年にはPADが大規模な反タクシン・デモで政権の機能を麻ひ状態に追い込み、同年9月の軍事クーデターを呼び込んだ。2007年末の民政移管選挙でタクシン派が政権に復帰すると、PADは大規模なデモを再開し、首相府やバンコクの2空港を占拠するなどした。タクシン派政権は2008年末、与党が選挙違反で解党され、崩壊した。

 一方、MGRの経営再建は失敗し、2008年に裁判所が破産を宣告した。傘下の新聞、雑誌はその後、スタッフごとPAD系の別会社に移動し、発行を続けている。


〈ソンティ・リムトーンクン氏とPAD〉
 ソンティ氏は1947年生まれ。中国名は林明達。父親は中国・潮州から移民した元中国国民党員で、タイで中国語の本の印刷事業などを手がけた。
 ソンティ氏はタイのアサンプション大学(ABAC)付属校シラチャー校を卒業後、台湾で中国語を勉強、後に米国の大学に留学した。1973年に帰国し、新聞編集者、雑誌発行などを経て、1983年にタイ字紙「プージャッカーン」を創刊。同紙をタイ字経済紙のトップに育て上げ、1990年に「プージャッカーン」発行元のマネジャー・メディア・グループ(MGR)をタイ証券取引所(SET)に上場した。また、エンジニアリング、携帯電話販売のインターナショナル・エンジニアリング(IEC)を買収し、未公開株の17・5%をタクシン氏に譲渡、1992年に同社もSETに上場した。タクシン氏は10バーツで買ったIEC株を上場後、250バーツで全株売却し、6億―7億バーツの利益を得たとされる。
 MGRはさらに、通信衛星、携帯電話サービス、英字紙(アジアタイムズ)へと事業展開を図ったが、1997年のアジア経済危機で経営破たんし、経営再建を図ったものの、2008年11月に破産宣告を受けた。以降、MGRの新聞、雑誌はソンティ氏らが経営する反タクシン派ケーブルテレビ局傘下に収まり、「ASTV」ブランドで発行を続けている。
 ソンティ氏とタクシン政権は同政権で副首相、財務相、商務相などを務めたソムキッド氏が1990年代にプージャッカーンにコラムを連載していたほか、タクシン氏の有力ブレーンであるパンサック元首相顧問がアジアタイムズの編集長を務めるなど、人脈面でつながりが深い。タクシン氏の旧友であるタノン元財務相はABACシラチャー校でソンティ氏と同級生だった。
 こうした関係からか、MGRは2001年の下院総選挙で全社を挙げてタクシン派政党を支持。タクシン政権が発足すると、MGRの関係会社社長だったカノク・アピラディー氏がタイ国際航空の社長、ソンティ氏と親しい銀行家のウィロート・ヌアンケー氏が国営クルンタイ銀行(KTB)の社長になった。KTBはウィロート社長の下、MGRに対する債権16億バーツを放棄した。
 しかし2004年にウィロート社長、2005年にカノク社長が解任されると、ソンティ氏は強硬な反タクシン派に転じ、自らがホスト役を務める国営テレビ局チャンネル9の人気トーク番組で、政権の汚職、権力乱用を激しく批判。2005年9月に同番組が打ち切られると、バンコク都内のルムピニ公園での野外トークショーとして継続し、ネットやケーブルテレビを通じ配信を続けた。活動を強化するため結成した反タクシン派団体「民主主義のための市民同盟(PAD)」にジャムロン元バンコク都知事らが合流、バンコク都内で大規模な抗議集会を連続開催し、 2006年9月の軍事クーデターを呼び込んだ。
 2007年末に行われた民政移管のための総選挙でタクシン派が勝利、政権に復帰したことを受け、PADは2008年5月に活動を再開。2008年8月から年末まで首相官邸にあたるタイ首相府を数千人で占拠したほか、11月下旬からはバンコクの2空港も占拠し、タイの空路交通を遮断した。空港占拠中に憲法裁判所がタクシン派与党を解党、政権が野党民主党に移ったことから活動を停止。2009年6月に「新政治党」を政党登録した。
 PADはタイ王室の支持を受けていると主張し、シンボルカラーはプミポン国王の誕生日の色である黄色。2008年10月にPADのデモ隊が国会議事堂周辺で警官隊と衝突し、メンバーの女性が死亡した際には、シリキット王妃が葬儀を主宰した。
 アピシット政権下の2009年4月、ソンティ氏が乗った乗用車がバンコク都内で数台のピックアップトラックから銃撃を受け、車は蜂の巣となったが、ソンティ氏は軽いけがで助かった。使用された銃弾はタイ陸軍のものであることがわかっている。ソンティ氏は事件後、シリキット王妃の側近の女性らの名前を上げ、「今回の暗殺未遂に関与したとは個人的には信じていないが、万が一そうだとしても、恐れていない」と述べた。
《newsclip》

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